映画「ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン」。

基本的には、ジャズは、あまりよく分かってない。
ビ・バップとかモードとかの違いも、説明されたときには、
「ああなるほど」とか思うのだが、すぐに忘れて、
また同じ話に「なるほど」と思ってしまう。

何より「俺の方が詳しい」「お前はよく分かってない」的な
ジャズファンのヒエラルキー意識が苦手で、
あまり知らないふりをしてたりもする。
(あくまで一部のファンだと思いますが)

なので、あまりきちんと学ばないまま「これは好き」「これはまた聴きたい」とか
直感的に、好き嫌いだけで聴いてきた気がする。

しかし、その中で、ずっと気になってる特別な存在がいた。
それがジョン・コルトレーンだった。
なにか、この人の音楽だけは、音楽という枠を超えて、
哲学だったり、詩であるように感じてた。

だからこの映画「ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン」は観なきゃ、
と思ってたので、ようやく本日、観に行ってきた。

よくできたドキュメンタリー伝記映画で、
門外漢のワシにも、コルトレーンの人生、音楽が、観えてくる気がした。

当たり前やけど、コルトレーンも最初からコルトレーンだったわけやなく、
ディジー・ガレスビーやマイルスや、モンク、すごい人たちと触れ合ったり、
人生の辛酸をなめたりしながら、道を極めていったのだなあ。

ワシが今まで観たジャズ系の人はほとんどお薬で、
その人生を終わらせたり、廃人っぽくなったりしてて、
コルトレーンも一時はお薬に走るのだが、
そこを抜け出して、バネにして、大成してゆく。
お薬克服したジャズ系の人って、
ワシ、コルトレーンとマイルスしか知らんなあ。

面白かったのは、証言する人々の幅の広さ、
エルビン・ジョーンズ、ソニー・ロリンズ、
ウィントン・マルサリスとか、
ジャズ系のコルトレーンを直接知ってる人や影響を受けた人、
息子や義理の娘などはもちろん出てくるのだが、
他には、カルロス・サンタナ、ドアーズのジョン・デンスモア、
果ては、元大統領のビル・クリントンまで出てくる。
コルトレーンの音楽がジャズに留まらず、
多くの人に影響を与えたっちゅーことなんやろうな。

知らんかったんやけど、コルトレーン、晩年に日本を訪れてて、
長崎の爆心地で、長崎のために祈りながら、自分の中の音楽を紡いでいたのだな。
それは、なんか嬉しい話でもあるし、
コルトレーンの音楽の芯が垣間見えたような気もした。

コルトレーンは、自分を見つめることによって、生まれる自分の音楽の中に、
普遍的な救いを見出そうとしてたような気がした。
だからジャンルを超えて、いろんな人に突き刺さる音楽に到達したのかもしれんなあ。
だから長崎では祈らずにはおれなかったのかもしれんなあ。
それがコルトレーンの音楽が「宇宙的」とよう言われる所以かもしれん。

たぶん、全編コルトレーンの音楽で構成されてるんだと思うんだけど、
その選曲も、素晴らしかった。
ええ映画を観ました。

それにしてもコルトレーンのアルバムはジャケットも全部かっこいい。
マイルスみたいな派手さはないけど、ワシはこっちの方が好きかも。


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