いつかは弱い人間も自分らしく生きられる社会に。映画「私はヴァレンティナ」。

※ネタバレあり

ブラジルの17歳のトランスジェンダーの女の子が、
ただ自分に正直に生きたい、自分のまま学校にも通いたい、と願うだけなのに、
そこに立ちはだかる困難を描いた映画「私はヴァレンティナ」。

ちょっと驚いたのは、まだまだ法的に十分、整備されてるとはないけど、
ブラジルでは、トランスジェンダーが本来の性で、通称で通うことが認められてるんやな。
日本の現状は、どうなんやろう。
不勉強で知らないのが、ちょっと知りたくなってきた。

法的には認められているものの、
舞台となるのはブラジルの田舎町、
なかなか世間的には苦しい状況はあって、
主人公は事情を隠して、女の子として学校に通おうとする。
(もちろん学校側は事情を知った上で、隠してくれている。)

そこでアウティングに遭い、あからさまな嫌がらせを受けたりするのだが、
彼女は、その町で、自分らしく生きていこうとする。

観てて思ったのは、
「自分らしく生きる」ということは、
背中合わせに「他人の『らしさ』も認める」ってことなんやなあ、ということ。
すべての人が、誰に口出しすることもなく、誰の顔色伺うこともなく、
自分らしく生きる、本来の自分で生きることができる社会。
それはワシが生きてる間には来ないかもしれないが、
未来の人たちのために、少しずつ、それに向かっていこうという意識を持つこと、
それが大事なのだな、と思った。

ブラジルのトランスジェンダーの82%は、中途退学し、
平均寿命は35歳らしい。
法はできても、まだまだ生きづらい人には、生きづらい世の中なのだ。
人々の意識は、なかなか変わらない。
「自分らしく生きる」ってのは、基本的人権のひとつなんやと思う。
だからこそ、法がその社会の実現に向けて、
引っ張っていく必要があるのではないか、と強く感じた。

この主人公は、困難に遭いながらも前に進む強さがあった。
だけど、本当は、弱い人間でも、自分らしく生きられる社会の実現こそが
目指すところなのではないか、と思う。

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