佐伯祐三 ― 自画像としての風景@中之島美術館。
大阪中津の光徳寺生まれっちゅう、
ズブズブの大阪人やのに、
めっちゃシュッとした男前で、
コテコテとはほど遠い、
センスを感じる画風で、
中之島美術館のイチオシっぽい
佐伯祐三の展覧会が始まってる。
「佐伯祐三 ― 自画像としての風景」。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7623-1.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/スクリーンショット-2023-04-21-22.19.42.png)
ちょっと検索して見たら、光徳寺、
今も、光徳寺善隣館という障害者施設を運営してて、
佐伯祐正さん〜佐伯祐善さんが理事やってるみたい。
親戚筋なんやろなあ。
佐伯祐三は、パリに留学してる時、
自信満々で、フォービズムの巨匠ヴラマンクに絵を見てもらったら、
ケチョンケチョンにけなされて、
そこから心を一新して、
あの画風に至ったって話、どっかで聞いてから、
ずっと気になってた画家ではあった。
撮影、できる絵も多かったので、展示順に感想を。
プロローグ 自画像。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7624-3.jpg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7625-3.jpg)
男前の自覚があったんか、自画像、けっこうぎょうさん描いてた。
中でも有名なんは、この顔を塗りつぶした「立てる自画像」。
これ、ヴラマンクにボロカス言われた直後に描いたらしい。
そうとう凹んだんやろなあ。
この絵は、印刷観たことあったんやけど、
佐伯さん、ほんまに「どうでもええ」と思ってたんやろか、
後ろに違う絵まで描いてるとは、知らんかった。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7626-2.jpg)
この裏に描いた絵の色目がちょっとヴラマンクっぽいのが、なんか微笑ましかった。
第1章 大阪、東京。(1926 - 1927年)
パリから帰ってきた後に住んだ東京(下落合中心)と、故郷大阪の船の風景画中心のコーナー。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7627.jpeg)
帆船のロープがおもろかった。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7628.jpeg)
つまり左手の白くて高い建物は朝日新聞。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/スクリーンショット-2023-04-21-22.30.47.png)
写真撮り忘れたんで、
ネットから拾いました。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7629-1.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7630.jpeg)
なんのコーナーやったかな?娘さんの絵と人参の赤が印象に残った。
第2章 パリ。壁のパリ(1925年)
時代は前後するけど、一回目の渡仏。
ヴラマンクに貶された後、画風を探し求めて、
壁の面白さに独自の路線を見出していく過程がようわかった。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7632.jpeg)
怒られる前やろか。
ゴッホには、相当影響されてたみたいで、ゴッホも描いた「オーベルの教会」描いてた。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7633.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/Leglise_dAuvers-sur-Oise.jpg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/650x450_16654607.jpg)
模倣から始まって、だんだん、独特のものになっていく過程がおもろかった。
自分らしさを探す始めの頃は、迷いもあったのか、
ヴラマンクに近い色合いになってるのが興味深い。
だんだん、壁そのものに興味が深まっていったんかな。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7634.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7635.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7637.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7636.jpeg)
遠近感が独特。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7639.jpeg)
セザンヌやモネや、
この時代の特徴なのか。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7640-1.jpeg)
ええ方法なんかもしれない。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7638.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7641.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7642-1.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7643-1.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7644.jpeg)
文字へのこだわりが次の時代に繋がってる気がする。
線のパリ(1927年)。
一度帰国して、第一章の大阪、東京の絵を経てからの二回目の渡仏。パリ。
なんだか興味が壁から、壁に貼り散らされた広告、ポスターに向かってる気がする。
それが、どんどん進化して、
途中から、なんだかポップアートみたいになってきた。
昭和3年に亡くなってるけど、
佐伯祐三、めっちゃ早くに、
現代的なポップセンスを絵画に持ち込んでたのかもしれん。
物凄い先駆者なんかも。
広告という、既にある表現物をモチーフにして、
自分の表現作るって、
ある意味、大竹伸朗さんのやってることと同じやもんなあ。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7645.jpeg)
すみません。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7648.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7647.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7646.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7651.jpeg)
広告が貼り散らされた扉、
ということでは似てる。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7650-2.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7649.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7652-1.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7653-1.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7654.jpeg)
これも好き。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7655-1.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7658-1.jpeg)
絶筆の郵便配達夫につながるものがある気がした。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7656.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7657-1.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7659-2.jpeg)
パリ街頭の共同便所は
「エスカルゴ」と呼ばれてるらしい。
こんなのを描いてる画家、あまり知らんなあ。
現場で写生してたんやろか。
覗きやってる人に思われんかったやろか。
第3章 ヴィリエ=シュル=モラン(1928年)。
亡くなる年、パリの郊外に行って、描きまくったらしい。
寿命を知ってたのか。
パリとは違う開放感がええなあ。
同じ教会を、何度も何度も描いている。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7661-1.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7662.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7664-2.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7663-1.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7665-1.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7666-1.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7667-2.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7668.jpeg)
「煉瓦焼」。この絵、大好き。
佐伯祐三らしさの詰まった究極の一枚って気がする。
エピローグ。
1928年3月、パリに戻って、5枚描いたあと、喀血して、
8月に亡くなるまで描けなかったらしい。
ということは、ヴィリエ=シュル=モランは、
すべて(撮ってないのもある。展示されてないのもある。)
二ヶ月くらいで描いたのか。
人間業とは思えん。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7669-1.jpeg)
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/IMG_7670-1.jpeg)
絶筆と言われる「郵便配達夫」。
この歪な空間の捉え方、パーツパーツは平面的な感じ、
でも日本画ではなく、洋画らしさもある。
佐伯祐三の画風を貫き通したんやな。
この絵も、ほんま好き。
グッズも充実してたんやが、展覧会グッズ、けっこう同じようなもんが多くて、
マスキングテープとか、あんまり使わないのに、ぎょうさんあったり、
一番気に入った作品のグッズが無かったりで、
買おうという気にあまりなれない。
今回は、郵便配達夫の可愛らしい刺繍入ったタオルと、
いつか、ワシの冷蔵庫で展覧会開こう思ってるので、
この日、一番気に入った「煉瓦焼」のマグネットの二点だけ、
買わせて頂きました。
この展覧会は6月25日までです。
Sajiさんが動画教えてくれました。
けっこう意外な話もあって、おもろかったです。
しかも、勉強にもなりましたわ〜。
(20240421記)