京都名建築巡り「聴竹居」。
山崎界隈、名建築巡り、二つ目は、
JR山崎駅から少し坂を登ったところにある聴竹居です。
ここも予約制なのですが、ネットで予約できるので、
妙喜庵よりは、ずいぶん楽でした。
ここは以前行った旧喜多邸と同じく、
藤井厚二さんが自邸として建てた建物、
旧喜多邸にも通じる、和洋の気持ちいいブレンド、
開放的で廊下の少ない作りが、特徴的です。
旧喜多邸の話はこちら。
天王山の斜面、門を入って、石段を上がったところに、
その建物はありましたが、
この日は、本当に暑かったので、
まずは、冷房のある離れで、いろいろ説明を受けました。
離れと言っても、備え付けの椅子のあるリビングに、
キッチン、小上がりの和室まである、立派な建物!
旧喜多邸同様、和室に座ってる人、備え付けの椅子に座ってる人、
テーブル席に座ってる人の目線が同じくらいの高さになるよう、
配慮されてるみたいです。
藤井厚二さんの建物は、旧喜多邸でも感じたんですが、
デザイン性が高くて、
今観てもスタイリッシュなんですよね。
リビングの天井、二種類組み合わせてるのもカッコよかったです。
さあ、いよいよ本宅にお邪魔します。
まずは、一番南側のサンルーム。
すげ!細長い部屋やのに、床は端から端まで一枚の板!
角に柱のないデザインのために、
家を支える細かい工夫もされてたり、
窓の閉め方にも、説明されないと分からない工夫があったりと、
細部まで気が遣われてます。
で、このデザイン性、ほんま、藤井厚二さん、センスいいなあ。
おまけに、山崎の高台なんで、
眺望抜群、三河川合流地点あたりが見えてます。
ああ、ここで昼寝がしたい!
間取りの中心はリビング。
この開放感!
ここにも工夫が満載です。
和室への小上がりの下には、土管から、涼しい地中を通った風が吹き出します。
冷房のない時代、夏やったら、絶対、この前で昼寝するな。
と、ワシ、昼寝のことばかり考えてますわ。
リビングの椅子からは、神棚や仏壇が拝めるようになってたり、
この部屋から、ほぼ全ての部屋に行けるようになってたり、
部屋と部屋の間は、天井部分がオシャレな欄間で繋がってて、
通気性を考えてたり、
ほんま、気持ちよく暮らすための工夫が満載です。
かっこいい!
椅子でも有名な、
チャールズ・レニー・マッキントッシュの
デザインらしいです。
欲しい!
ストーブらしいです。
金箔ばりの仏壇は、
ちゃんと西を向いてるそうです。
書斎も、風通し良さそう!
南に面したいい場所は、子どもさんのお席らしいです。
引き出しにも、子どもの育て方への信念がありました。
応接間は玄関入ってすぐ。
そこからも、リビングに行けます。
ああ、うちの実家も、玄関から一番近いところに、
応接間あったなあ。
昭和の頃までの住宅の元祖なんかもしれんですねえ。
応接室の椅子は、着物でも座れるように、
背もたれの帯に当たるところが空いてます。
縦長なのは、その当時の日本人はまだ椅子に慣れてなくて、
椅子を出されても、その上に正座する方が多かったからだそうです。
やはり開放的な欄間。
ダイニングとリビングの間は半円形のドアのない作り。
さりげないけど、すごく技術が必要な作りらしいです。
藤井厚二さんお得意の作り付けの椅子。
座らせて頂きましたが、ええ座り心地でした。
キッチンとの間は、目線合わない高さで、
料理が出せるカウンターと、
扉のある棚で繋がっています。
キッチン側から見ると、こんな感じです。
この建物ができた当時はスペイン風邪が流行していたらしく、
キッチンには生ゴミをそのまま捨てられるダストシュートまでありました。
衛生面も気を遣ってはったんすね〜。
右手の背の低い方の扉は冷蔵庫です。
当時の最先端住宅やったんすね〜〜。
ここも、すごく丁寧に説明してくださったり、」
質問にも答えていただいたり、
すごく気持ちよく見学できました。
玄関出たところにあった石像。
ガルーダかな?
聴竹居からの帰り道。
木漏れ日や、三川合流地点越しに
宇治方面が見える景色は、素晴らしいけど、
「こんな坂道のある町には、よう住まんなあ」思いました。