番組「こころの時代〜宗教・人生〜“個”として生きる」。

実はラップが少々苦手だ。
なんかあの「みんなでガンガン行こうぜ!」感とか、
スタジオワークに凝ったきらびやか! とも言えそうなくらいの音作りに、
気後れしてしまうところもあるのだろう。
そんなワシにとって、ECDさんだけは、なぜか気になる不思議な存在であった。
ふたつ年上で近い世代というのもあるのかもしれない。

ECDさんは、今年の頭に癌で亡くなった。
進行性の癌だったらしく、ワシのと比べるのは、おこがましいくらいだが、
やはり、この時期に放映されるECDさんのドキュメンタリーは、
気になって、録画して見てみた。
(今朝、5時からの放映だったので、録画で観たんであります。)

ECDさんは、ラップに出会ったとき、原始の叫びだと思ったそうだ。
楽器がなくてもターンテーブルと
声があればできる音楽だと感じ、のめり込んで行ったらしい。
ワシがラップを苦手な理由の真逆から
ラップに入って行かはったんやな。
気になる理由が少し見えてきた。

そんなECDさんは、ラップを日本のメジャーシーンに
押し上げるきっかけを作っていながら、
自らは、そのメジャーレースから降りてしまう。
メジャーに飲み込まれて、「個」ではなく「シーン」になって
行く状況が耐えられなかったようだ。
そう、ECDさんの思う世界は、個の世界。
これで、ワシがラップを苦手なすべての理由がなくなった。
ECDさんを気にしたワシの直感を信じて正解だったのだ。

そう思って聴くと、ECDさんのラップには、
ラップ特有の「ラップってのはこういうテーマで歌わなきゃあかん」的なもんも、
韻を踏むのにこだわりまくった挙句、
何を歌ってるのか歌詞がよくわからない、なんてこともない。
つまり、歌詞にウソがないのだ。
これは、ワシが音楽を聴く上で非常に重要に思うポイントでもある。

ECDさんの中にはラップの前に出会った音楽、
デビッドボウイも住み続けていた。
晩年、彼は、すべての人、男も女も、
すべての人が「地球に堕ちて来たのだ」
という理解で、人間の「個」を読み解こうとする。
彼にとっての「個」は、「孤」でもあるのだな。

ECDさんは、亡くなる10年ほど前に、
遅い結婚をして、二人の娘を授かる。
これはワシなりの感想なのだが、
別に個を否定したわけではなく、
ある意味「個」が確立したから、
結婚しても親になっても、揺るがない、
という気持ちもあったのではないか。

しかし、晩年に書いたエッセイでは
「いつか親という立場からも解き放たれる」
という表現で死を語る一節がある。
ECDさんが、知ってたのかどうかはわからないけど、
これはまさしく、ディランの「アイシャルビーリリースト」ではないか。

ラップに対する考え、人生に対する視点、
いろんな意味で共感できる人であった。
いいドキュメンタリーを観た。
番組のこと、教えてくれた平井さん、
ありがとうございました!!

動画はECDさん、最後の作品。
癌で入退院繰り返してた間に
奥さんに反対されながら
作り上げた音楽。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA