映画「i-新聞記者ドキュメント」。

「i ー新聞記者ドキュメントー」を観てきた。

望月記者が取り扱う案件のひとつひとつの是非については、
ここでは語らない。
菅官房長官の態度は、政治家として、一人の人間として
失礼だなあ、と感じたことに留めておく。

※ちょっとネタバレになるので、観る予定で、
知りたくない人は、読まないでください。

一番ハッとしたのは、タイトルの「i」の意味。
英語の一人称単数だ。
そうか、そういう意味だったのか。
彼女は、常に一人称単数で動いているのだ。
所属してる東京新聞に命じられてるわけではなく、
社会部の記者として、おかしい!と思うことになら
どんなことにでも切り込んでいく。
もし、今野党であるどの党が政権を取ったとしても、
それは変わらないだろう。

彼女の戦っているのは、ある意味「we」なのかもしれない。
誰かの指示で同じように動いてるかのようなネトウヨ。
横並び一線を旨とする記者クラブ。
そういうものと戦いながら、自分の判断で切り込んでいく。
記者クラブの今までのやり方にないから、彼女は叩かれる。
確かに、ややヒステリックなところも感じないではないが、
ジャーナリストとは本来、一人称単数なのではないだろうか?
ジャーナリストが「「we」になることは、
ジャーナリズムの放棄ではないのか、とふと感じた。

監督は、オウムを扱った「A」「A2」や佐村河内守さんを
おっかけた「FAKE」で有名な森達也さん。
今回の切れ味も素晴らしい。

帰りの電車で、すごく小さなことやけど、個人的に思ったのは、
人と話をするとき「みんなが言ってる」「誰誰も言ってる」
みたいな言い方をする人を、ワシは非常に嫌悪してるし、
自分がそういう考え方をしそうになってることに気づくと、
口に出してなくても、恥ずかしくて堪らなくなったりする。
それって、けっきょく「we」に頼ろうとしてることなんやろな、
ということだ。

人の意見を聞かない、ということではなく、
人の意見に流されない。
最後は、自分で判断する。
流される方が楽なのは知ってるし、
流されやすいタイプであることも自覚してるが、
ワシは常に一人称単数「i」で、ありたいと思う。

コメント欄に素晴らしいコメント並びました。
ありがとうございました。
その中の自分のコメント、
引用しておきます。

自民党が強かったり、ネトウヨがあれだけ
我が物顔で言いたい放題なのも、
日本に「個」が育ってないからかもですね。
分母の大きな集団に所属すると、人はなぜか安心する。
自分が強くなった気になってしまう。

そして、自分というフィルターを通ってない、
人の意見をそのまま拡散する。

たとえ「自分と同じ意見だ」と思ってたとしても、
全く同じ意見なんて、ありえないし、あるとしたら、
それは自分の意見がないことと同じだから、
やはり、自分を通して、なんらかの意見を加えるなり、
一部加工するなりしないと「個」ではないのでしょう。

だから同じ右翼でもガチウヨと言われる仲村之菊さんの意見は、
聞くに値するのだと思います。
分母がでかい集団に所属すると、分子である一人の存在感は小さくなる、
だから責任感も薄れ、乱暴なことが言えてしまう。

「個」だと常に意見は1/1。
自分の意見に、自分自身が責任を持たざるを得ない。
望月さんのやってることは、まさに1/1の意見ですね。
1/1、これも「i」に似てますね。
(20231205記)

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