映画「めぐり逢わせのお弁当」と「わたしは、ダニエル・ブレイク」。

答え合わせみたいですが、今日アップした映画の話、
一本目は「めぐり逢わせのお弁当」(以下「お弁当」)、
2本目は「わたしは、ダニエル・ブレイク」(以下「ダニエル」)でした。

たまたまですが、けっこうよく似た映画で、
「お弁当」は、会社を早期退職する頑固親父が、
お弁当がきっかけで、夫の無関心に悩む若いお母さん(娘ひとり)と
懇意になって、相談したりするうちに、ちょっと優しくなっていく話。
「ダニエル」は、諸般の事情で職探しする(ポーズなのですが)元大工の老人男性が(この人も頑固親父)、
娘ひとり、息子ひとりのシングルマザーと懇意になって、
元々あった優しさが溶け出すような物語。

さらに2つとも、奥さんを亡くしていること、
その女性とは別に、若い男性が、もう一つの心を溶かすキーに
なってるとこまで、似ていました。

これだけ似てる物語、そしてワシの海馬、
もう頭の中で、話がごっちゃになりかけてるのは、
仕方ないことでしょう。
ほっといたら、さらに混じってくるのは、目に見えてるので、
少し、感想をまとめておきましょうね。

「お弁当」は、インドが舞台で「踊らんインド映画初めて観た!」
思ってたのですが、インド・フランス・ドイツ合作らしく、
インドスタッフの「踊らんの?」という声が聞こえてきそうです。
踊る方のインド映画とは違って、今のインドのリアルが見えて来る
ところが、興味深かった。


インドのような国にも日々のストレスから
「ここではないどこか」を追い求める気持ちがあるんやなあ。
「人は間違えて乗ってしまった列車も、正しい場所に着くものだ」って言葉、
人生を肯定的に捉えてるよなあ。
一度乗ってしまった列車は人生ではやり直せない。
だったら、その列車に乗って、正しい場所にいくしかない。
そう思うと、人は、どこからでも幸せを目指せるような気分になる。
そう思わせる前向きなシーンで終わるのが、気持ちよかった。
この映画でも、積極的に動く女性と、
年齢もあるが、いざとなると弱気になる男性が描かれてて、
ああ、やっぱり、詰まるところ、こうなんかもなあ、と思った。
うまいこと、声だけしか出演しない女性の叔母さんが、
めっちゃええ味出してた。
なかなか、ええ、ワシの好きな映画でした。

「ダニエル」は、ワシの大好きなイギリスの社会派監督、ケン・ローチの作品。
これは今の日本にも通じる貧困に悩む弱者と、
制度を優先する行政の戦いの物語でも、あるなあ。
その中から、真の人間性とは?を問い直す
ケン・ローチのお得意のパターンではあるが、
随所にイギリス人らしい皮肉たっぷりのユーモアが
込められてるので、
そんなに鈍重にはならず、気持ちよく物語に入って行けた。
一体、行政とは何のためにあるのか?
効率を追い求め、社会的弱者をふるいにかけ、
手当てを配分するものを絞っていく行為に何の意味があるのか。
一番弱いものを救えなくては、行政の本来の意味はないのではないか。


男性はパソコンの使えない老人、女性は子供二人を抱え、
仕事がなく、手当てももらえないシングルマザー。
行政の手からこぼれ落ちそうな二人は支え合って、
貧しいけれど、助け合うことで、心は豊かになって行く。
しかし、それにも限界がある。
手続き優先で、なかなか困った人に手を差し伸べない行政、
そして、ボランティアで、貧しい人に生活必需品を配る民間。
なんか子供食堂のこと思い出してしまった。
自分たちがやるべきことをやってないのに、
子供食堂に頼るとか、行政としてのプライドはないのか!
と、ふつふつと怒りが沸いても来るのであった。
最後のダニエルの言葉、
「犬でもない。社会保障番号でもない、
私はダニエル・ブレイクという一人の生身の人間である」
この言葉には、行政が何をすべきなのか、
ということが、込められている。
さすがは、ケン・ローチ監督。
元々、じじい、ばばあの出る映画が好きってこと、差し置いても、
ワシ的には、満点評価の映画でした!

数年前、ドキュメンタリー映画しか観られなくなってた時期があった。
社会の現状が、辛過ぎて、ストーリー映画観ても「だって嘘じゃん!」と
思ってしまった時期があったのだが、
この1〜2年で、ようやく、ストーリーじゃないと見せられない
この世の本質みたいなモノもあるなあ、
と思えるようになってきた。
この二本の映画は、まさしくそういう映画だった。

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