田中さんの句集「百偏句」。

先日亡くなった田中さんの句集を
田中さんと同期の岸さんがデータ化された。
ご家族の了承も得られてるらしいので、
シェアさせて頂きます。

こないだご報告した時は、あえて病名を伏せましたが、
岸さんの書かれてるように、田中さんのご病気はALSでした。
日々、体が動かなくなって行く中、意識は、はっきりしておられて、
最後は、視線でパソコンを打っておられたそうです。
そんな病気が進んでいく中、
俳句という出口をよく見つけられたなあ、と思います。
ワシが所属してた会社には、俳句の会があって、
岸さんもそのメンバー、
そして松山さんという先輩は、
その会のメンバーで、現在、出版社をやっておられます。
松山さんにお聞きしましたが、
田中さんは、その松山さんにいろいろ俳句のこと聞いて
それは熱心に勉強されて、2年足らずで、この句集を作られたそうです。
松山さんが出版の仕事をされてたことも、
田中さんには、暁光だったのでしょう。
松山さんの会社から、自費出版で句集を出されました。

その句集の中に「夏柳風に頼らず揺れてみろ」という句があります。
亡くなられてから、この句を読んだとき、
ワシは嗚咽が止まらなくなりました。
動けない自分を、どれほど、もどかしく思ってたのか、
どれほど、自分で動きたかったのか。
俳句は、病気と闘う田中さんのたったひとつの窓だったんだと思います。
外の世界と繋がるためのたったひとつの窓。
ワシはほんの一週間ずつ、二回の入院でしたが、動き回れる体でしたが、
それでも、外の人間との違いを感じて、
病院が牢獄のように感じることがありました。
この句集を読んでて、田中さんは、もっと小さな、
自分の体より小さな牢獄に閉じ込められてるような気持ちだったのかも、
と想像しました。

その田中さんを見つめ、助けるご家族の大変さも想像を絶します。
ご自身が泣き出したい気持ちを抑えて、微笑んで、
田中さんの介護をされていたんだと思います。
田中さんに気づかれないようにたくさんの涙を流されたんだと思います。
もちろん、田中さんは、見てなくても、その涙を知ってらして、
俳句の中には、家族を気遣うような句も、いくつかあって、
それを読むと、悲しいけれど、ちょっとホッとします。

田中さんを知ってる方にも、知らない方にも、この句集を読んで欲しい。
決して出られない部屋の中から、一所懸命、窓を開けて、
外と繋がろうとした人がいたことを、ひとりでも多くの人に
覚えていてほしいと思います。

ご連絡いただいたあと、田中さんの奥様とお話しする機会がありました。
驚いたのですが、こういうご病気で、本人も、ご家族も、
一点を見つめていらっしゃったそうで、
「もし、何かあったとき、会社関係の方は誰に連絡取ればいい?」と
奥様が聞かれると、田中さんは、「亮介やな」と
即座に言ってくださったそうです。
それは多分、仕事関係始め、重なるところが多かったからだと思いますが、
それでも、そこで名前出してもらったのは、嬉しかった。
田中さんは、こう続けられたそうです。
「でも、あいつのことやから、その話聞いたら、よれよれになって、
使い物にならんかもな」
ワシのことを、そんなにわかってくれてる人がいたんや。
この話を聞いたとき、ワシは、電話口で話ができなくなるほど、
泣きました。
もっと田中さんと話しておけば良かった。
ご報告したように、田中さんは、ご家族での葬儀を望まれ、
ワシが連絡を回すことも、よれよれになって、回せなくなることもなかったのですが、
やはり、田中さんの言った通り、よれよれには、なっているのです。

この句集、これからは、ワシがよれよれになったとき、
田中さんと繋がるため、田中さんのご意見を聞くための窓として、
何度も読ませて頂くことになると思います。
田中さん、素晴らしい財産を残してくださって、ありがとうございます。

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