中学生が制作した長編映画「或いは。」@周amane。

中学生(制作当時)が作った映画を観て来た。
シタンダリンタ監督の「或いは。」

2時間を超える劇場尺の映画だが、
脚本がしっかりしてるので、
全然観飽きない。
一応SF映画と銘打ってるが、
特撮やCGは一切使ってない。
だけど、宇宙や異星人の存在感は十分に感じる。
CGどころか、全カットiPhone Xで撮ったらしい。
上映もiPhoneをプロジェクターに繋いで。
でも、十分鑑賞に耐える。

恐ろしい時代になったもんですわ。
カメラワークもよく考えられてて、
しかも斬新なところもあって、感心しまくり。
唯一難を言うと、fixがほとんどなく、
手持ちで大胆に動くカットが多いので、
乗り物酔いにスーパー弱いワシは、
ちょっと気分悪くなりそうになったが、
これは、映画の難というより、ワシの難と言うべきだろう。

ここまでは、中学生が作ったけど、
そんなこと忘れて、一本の映画として
ワシが楽しめる作品であったことの説明。
ここからは、どんな風に楽しんだかを。

まずは、「いまの中学生には、世界ってこう見えるんやなあ」
ってこと。
どこが、どうとは説明できないのだが、
何か、今のワシが見る世界とも、
かつて中学生だったわしが見ていた世界とも
微妙に違う気がしたのだ。
そして、それが、この時代を、それぞれの年齢で生きる、
ということなのだな、と思った。
脚本、演出のリンタくんには、
しっかりその年でしか見られない世界の見方をして、
どんどん新しいものを作って行ってほしい。

制作も出演も中学生だが、設定は高校生、
主役は、一人ではなく、ある意味、群像劇になっている。
それぞれが、それぞれ、ちょっとずつ違う考え方をして、
高校生ならではのしなやかさで、気持ちが動いて行く様も、
キチンと描いている。
ワシが、中学生の頃、ワシの考え方が人とズレてるのは、
大いに感じていたが、人がどう考えてるかまでは、
全くわからんかった。
それを思い出すと、リンタくん、末恐ろしい!と思ってしまった。

そして、それこそが、この映画のテーマに繋がって行くのだろう。
そのテーマは「他人との距離、関係」みたいなことなんだと思う。
そこは、ワシにも覚えがある。
自分の考え、感じ方が、あまりにも人と違ってるので、
「もしかしたら、自分以外は、全部役者で、自分の前だけで
演技してるんじゃないだろうか」とか、
感じたことがあった。
そんな自分と他人との関係の歪さ、すんなり収まらない違和感を
表現にまで拡大し、エンターテイメントしてみせたのが、
この映画なんではないか、と思う。
予告編通り、SFで、けっこう笑えるけど、
最終的には、一緒にはなれない涙に、
この映画の本質はあるのかもしれない。
個人的には、女の子の持ってるトートバックが、
ゲスの極み乙女のロゴだったり、
男の子の着てる服が、BOWIE(デビッドの方、BOØWYではない)
だったりしたのが、けっこうツボに入った。
あと、いろいろやりたい気持ちが溢れてるんやろな。
劇中歌のシーンの映像で、並みのPVより
かっこええやん!と思える映像もあった。

この映画、すごいのが、音楽をほぼオリジナルで作ってることだ。
音楽監督は、かんのとしこさん。ワシも良く知ってるかんちゃんだ。
ときには、音楽があるのを忘れるくらい、場に馴染んで、
ときには、気持ちを駆り立ててくれて、
ひとつひとつのシーンを印象付けてくれる。
なんや民族音楽みたいな曲、めっちゃ良かったなあ。
かんちゃんの話では、リンタくんからイメージを聞いて作った
らしいが、その説明が的確で、びっくりしたそうや。
そして、かんちゃんも「中学生」とか意識せず、
楽しんで、ほんで、この映画をええもんにしようとして、
作っているのが、よくわかる。
かんちゃん、ほんまええ仕事できて良かったなあ!

予告編では「東堂凛」のクレジットになっているが、
今日の話しでは、本名の「シタンダリンタ」で
行くことにしたらしい。

きっといつかワシは「『或いは。』のときから、
あのシタンダリンタを知ってるねん。」と
自慢するときがくると思う。

そのシタンダリンタくん、この作品は
同級生に出てもらってるので、
あまり公開できない事情があるらしいが、
もう第二作に取り掛かってて、それは大人だけの出演で、
公開も考えてるらしい。
その主役は、なんと桜川春子ちゃん!
ひとつのギターを巡って、大の大人が右往左往する
ストーリーらしい。
ワシも、何かお手伝いができたら、嬉しいなあ。

予告編だけでも、
映像や、編集のセンスの良さ、感じます。

本編もYouTubeに監督がアップしてました。

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