映画「盆唄」。

「そや、公開されたら観に行こうと思ってたんや。」
すっかり忘れてた「盆唄」の公開が先週から始まっていた。
観てきた友だちがFacebookに書き込んでくれたので
昨日、思い出した。
調べると大阪では一館だけ。
来週の予定はまだ出てない。
この土日はやってるけど、ワシの予定が入ってて行けない。
昨日の最終回には間に合いそうだった。
「今日しか行けんかも」と、早速行ってきた。
ズシンと響くいい映画、観られて、ホンマによかった。

公式サイト

「ナビィの恋」や「恋しくて」の中江裕司監督が、
福島原発事故で帰還困難区域になってしまった双葉地区の
盆踊りの唄に焦点をあてたドキュメンタリー。
「中江監督がドキュメンタリー?」と少し不思議だったが、観ると納得した。
人が動けば、必ず物語が生まれる。
人と人が交わること自体、中江監督には物語なのだろう。
それを自分で用意するのがドラマだとすれば、
あるものを組み立てるのがドキュメンタリー。
手法の違いだけで、テーマなど、大きなところでは違いはないようだ。
少なくとも中江監督にとっては。

帰還困難区域になってしまった双葉地区、
つまりみんなで当たり前のように集まっていた盆踊りの
開催ができなくなってしまった。
帰るべき土地がなくなってしまったんやもんな。

しかし、双葉地区を撮る、あるカメラマンの話から、
ふるさとを離れた先達とも言える人々がいることを知る。
ハワイの日系移民たちだ。
そこには「フクシマオンド」と呼ばれる
福島各地の民謡が伝わっていた。
ハワイへの移民は、沖縄、山口、広島、福島などの貧しかった
地域からの人が多かったらしい。広島、山口は意外やったな。
そして、その人たちは、ずっと福島に住んでた人たちより、
しっかりと民謡を守って伝えてきていた。
面白かったのは、マウイ、ハワイ、オアフ、
それぞれの地域で少しずつテンポや伴奏が違ってたことだ。
そして、双葉やその他の福島の地域では、
盆踊りのとき、延々と同じ曲をやるらしいが、
ハワイでは、各地域の何種類もの音頭をやるらしい。
この話は、後々の映画のストーリーにも絡んでくる。

この下り、少し、ブラジルの沖縄移民を思い出した。
あそこも少し形を変えながらも、沖縄に住む人以上に、
踊りや歌を大切にしていた。
人間は、離れても、離れるからこそ、故郷に繋がる
歌や踊りを大切にするのかもしれない。

ハワイに日系人が多いのは知っていたし、
真珠湾攻撃も、もちろん知っていたが、
そのとき彼らが味わった苦しさや悲しみに思い至らなかった
自分を恥じた。

双葉の人たちは、翌年もう一度人数を増やしてハワイを訪れる。
歌、笛、太鼓、踊りなど双葉の盆唄を教え、伝えてもらうため。
双葉に還れず失われても、ここで伝えて残してもらえれば、
いつか双葉に還ることができるようになったとき、
復活できるという希望を託して。
なんという悲しい希望だろう。。

そして物語は過去に遡る。双葉の音頭の元になったのは
富山県砺波地方から、移住してきた人たちが伝えた唄。
その人々もふるさとを離れ、差別に苦しみながらも
唄を伝えていった。

やはり人は、ふるさとを離れれば離れるほど、
唄に残るふるさとの記憶を大切にするのだろうか。
ロマなど移動する民族には、必ず力強い唄の伝統がある。

どんな理由にしろ、ふるさとを離れることは辛い。
個人個人で夢を抱いて旅立つ人はいても、
村ごと、大人数でふるさとを離れることが辛くないわけはない。
映画では政治的なことは一切語られないが、
どうしても今回のことでは、政治的な背景が覗いて、
彼らの哀しみと引き換えに怒りが沸いて仕方なかった。

そして彼らハワイの移民たちに自分たちを重ねたのだろうか、
仮設住宅に櫓を組む。
双葉の全地区が参加する祭り、という
フィナーレに向かっていく。
この祭りの準備からどんどん昂まって行く高揚感!
エンディングの達成感!
ストーリーテラーである中江監督らしい
ドラマとドキュメンタリーのフュージョンやなあ、
と感じた。

そして、このシーンを観てたとき、もうひとつの
ドキュメンタリー映画を思い出した。
福島出身の遠藤ミチロウさんが、
やはり汚染地域の住民のために櫓に登った「Shidamyojin」。

今は、闘病中のミチロウさんを思ったからか、
この映画のエンディングで得られるカタルシスからか。
終わったときは、全身の力が目から涙になって、
流れ出てしまったかのようになって、
しばらく立てなかった。

ぜひとも、皆さんに観てほしい映画です。

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