赤瀬川原平さんの訃報を聞いて。
赤瀬川原平さんの訃報を聞いて、
久しぶりにあの、独特の視点での文章を読みたいと思った。
手島さん経由で、ノコニコのシバッチがお勧めだというこの本を知った。
中古で入手した。
やはり相当おもしろい。
本、映画、漫画、利休に関するものは、
利休が主人公でなくても、戦国モノが好きなんで、
いろいろ目にしてきたが、これが一番腑に落ちた。
路上観察(いわゆるトマソンなど)を含めた自身の芸術活動などと
照らし合わせて、茶道という、芸術・道としては
非常に実態のつかみにくいものを解き明かそうとする。
ある意味「利休が現代に生きていたら」という視点なのかもしれない。
利休が秀吉の命令に反論することもなく、切腹に赴いたこと、
「一期一会」の意味も「他力」という概念から見ることで、
驚くほど、スルスルと糸が繋がった。
※「他力」について敢えて、詳しくは説明しません。「つづきは、本で」
赤瀬川さんが言ってることが利休の考え方そのものなのかどうかは、
分からないが、
ワシの中で利休という日本史の中でも非常に捉えにくい人間を、
一番分かりやすい形にしてくれた。
「私が死ぬと茶が廃れる」という利休の言葉も、
前衛とそれを追いかける形式というフォロワーという図式で
鮮やかに説いてみせる。
前衛であり続けた赤瀬川さんだからこそ見抜いた、
哀しき前衛の図式ではあると思うが。
同じ前衛でも利休が「無言の前衛」なら、
赤瀬川さんは「お茶の間の前衛」って気もするが。
最後に、おもろいなあ、と思った一節を。
「日本列島がまさに大陸からの受け皿みたいにゆるやかに反っている。一滴もこぼすまいという皿の形である。それは一面で反射レンズの形でもある。大陸からさしてきた光をこの凹面で集めて返す。それが文化であればいいが、政治的エネルギーであれば、武力が加わったとき、戦争となり、侵略となる。」
※異文化を吸収して自分なりに工夫してより優れたものにしてしまう日本の特性を、欧米を中心にして日本が極東のユーラシア大陸の端っこにくる地図を見ての発言です。(橋本注)
改めて、ご冥福をお祈りします。