映画「ナビィの恋」。

DVD持ってるのに、昨晩のど深夜、テレビでやってるのを観始めたら、
やめられなくって、最後まで観てしまった。
何度観ても、キュンとしてしまう映画やなあ。
ほんで観るたびに、なにか新しいことを見つけたり、感じたりしてしまう
ワシにとって、奇跡のような映画だと思う。

おばあと孫娘、沖縄の粟国島を舞台に、おばあの恋をメインに、
世代のふたつ離れたふたつの恋が進行していく。
ユタなどの沖縄の風習や、習俗、濃密な人間関係などを自然に混ぜ込みながら、
エンターテイメントも盛り込みながら、わかりやすくストーリーが進む。
人から感じる匂いが、まさにワシにとっての沖縄そのものだ。

よく観ると、細かく映画的なテクニックを駆使してるのに、
全体として、隙のある作りになってるのも、見事だと思う。
音楽で言うところのローファイな感じのある映画だと思う。
その辺りは、同じく沖縄の離島を舞台にした
崔洋一監督の「豚の報い」と同じ空気感を感じる。
そう言えば、沖縄を舞台にしながら、「真っ青な空、エメラルドグリーンの海」
という沖縄舞台の映画につきものの風景を感じないところも共通してるかもしれない。
そして、それはまさしくワシの心にある沖縄の風景と重なる。

ストーリー中に散りばめられた音楽も素晴らしい。
ごく自然にストーリーに溶け込んで、極上の音楽が流れてくる。
おじい役の登川誠仁(せいぐゎー)さんはもちろん、嘉手苅林昌さん、
その妻役の大城美佐子さん、二人の息子役で、実際、林昌さんの息子の林次さん、
道化のような立ち回りで出てくる、山里勇吉さんなど、
沖縄民謡のスーパースターたちが、ごく自然に
「近所に住む歌の上手いおっちゃん、おばちゃん」みたいに出てくるのが嬉しい。
けど、せいぐゎー、林昌さん、勇吉さん、主演の平良とみさんまで、今はこの世にいない。
寂しいなあ。
だからこそ、これだけのメンバーを集めたこの映画の価値は、より高まってる気がする。

この映画に出てくる音楽は、沖縄民謡だけではない。
アシュレイ・マックアイザックの狂ったような速いリズムのケルト・ミュージックや
兼島麗子さんのオペラが沖縄音楽と混じり合って、出てくる。
三線が伴奏のハバネラとか、めっちゃ面白いし、完成度もすごい。
この映画は、音楽映画としても、唯一の存在で、高いレベルを誇ってると思う。

極め付けは、エンディング(オープニングにも少し)使われている、
マイケル・ナイマンの「RAFUTI」。

ナイマンの美しい演奏からせいぐゎーの三線に移り変わっていくその流れは、
美しくて、尊くて、音楽だけでも涙が出てくる。
これが、この映画のエンディングに流れるのだ。
涙が流れない訳がない。

RAFUTIオンリーの演奏はこちら。

昔、この映画について、ひたすらおばあを思いつつ、
島を離れるおばあを優しく見守るおじい役のせいぐゎーについて、
「運命を受け入れつつ、明るく生きていく沖縄そのもの」
みたいな文章を書いたことがある。
今でも、その思いは、変わらないが、
今回観ていて、幸せを求めて島を離れて行くおばあにも、
どんな状況にあっても、諦めず、貫き通す沖縄の強さと逞しさを感じた。
そして、孫娘、奈々子とその相手福之助に、
おばあの強さと、おじいの優しさが受け継がれていくところにも、
沖縄という土地の持つ「伝えていく強さ」を感じた。

ワシにとって、大切な大切な宝石のような映画である。

【追記】
先日「海の向こうの首里城」というドキュメンタリー番組を観た。
首里城の炎上に悲しむ沖縄からハワイへ移民した子孫たちと、
それまで首里城のことを観光施設と思って、あまり意識したことのなかった
沖縄に住む大学生たちとの交流の話だった。
大学生たちは、首里城が消失したことで、自分にとっての首里城、
自分にとっての沖縄を考え始め、
沖縄を離れた移民たちの間で、沖縄の文化がどれほど大切思われてるか、
改めて知って、沖縄に誇りを持ち始めた。
首里城の消失は、悲しみでしかなかったけど、
身を挺して、若いウチナンチューに沖縄を見直す機会を作ったのか、
と思うと、ここでも、あの土地の持つ「伝えていく強さ」を感じた。

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