恩師、おとんを語る。
先日、おとんの話を少ししたら、
知り合いの中村さんが、おとんの論文集の序文を載せてくれた。
おとんは国語学の学者で、生前、共著はあったものの、
自分の名前で本を出すことはなかった。
国語学の学者は、60歳くらいまでは、研究、研究の毎日で、
60歳過ぎてから、自分の研究の成果を、本にまとめて行くものらしい。
おとんの場合、58歳で逝ってしまったので、
ちょうど果実が成ったくらいのところで、収穫をみずに、
終わってしまったような感じなのかもしれない。
それを惜しんだ先輩や同僚、学友、後輩、教え子の方たちが、
おとんの没後、遺した論文を二冊の論文集にまとめてくれた。
一冊は「国語学編」、もう一冊は「万葉集編」。
ありがたいことである。
それぞれの序文をおとんの恩師にあたる二人の先生が書いてくれた。




ワシは、学者としてのおとんのことは、ほぼ知らないままだったので、
この序文を読んで(多少の故人への忖度はあるにしろ)、
おとんが学者として嘱望されてたこと、
学問への向き合い方が、真摯で誠実だったことなど、
まったく知らなかった。
と言うよリ、想像したことがなかった。
ちゃらんぽらんな自分との違いにも驚いた。
もちろん、この論文集は、ワシも持っているのだが、
ここ30年くらい、表紙をめくったことさえなかったので、
思い出すのは、引っ越しの際、段ボールに詰めるときくらいであった。
知り合いが、ワシとは関係なしにこの本を持ってくれてたこと、
そして、この度、思い出させてくれたことに心から感謝する。
中村さん、ありがとうございます。