生まれたところや、皮膚や目の色で。

「生まれたところや、皮膚や目の色で、
いったいこの僕の何がわかるというのだろう。」

ワシは今日、韓国の人や中国の人に
心、震わされた。
日本の人にも、だ。

イタリアの人に震わされたこともあるし、
ブラジルの人に世話になったし、
アフリカの人んちに泊めてもろたり、
アイルランドの人とパブで盛り上がったこともある。
イギリスの人がうちに泊まったこともあったなあ。

別にそーゆーのをどうこう言う気もないが、
そーゆーもんではないのか。
日本の人でも、苦手な人もおる。
台湾のすげー好きな人もおる。

同じ関西でも、喋りたくない人もおれば、
基本苦手な関東人でも、大切に思うひともおる。

皮膚や目の色やなく、
その人そのものを見て、
好きになったり、
ときには嫌いになったりしなくちゃな、
と思います。

いい人縛りで、どんな人でも好き、ってのも、
違うと思ってます。
苦手な人は、苦手だと言った方が、
ええんやないかと、
最近は、思ってます。

どうしても先入観入ることはありますが、
そういう自分を恥じて、
できるだけ人そのものを見て行きたいと思います。

ときどき、自分が揺らぎそうになって、
確認したくなるんです。
いつまでたっても「確固たる自分」てのは、手に入らんもんです。

人間の本質には、「誰かを攻撃したい」「誰かを下に見たい」
という気持があるのは否めないと思います。
しかし、その気持が恥ずかしいもので、
唾棄すべきだという意識を持つことこそが、
人間が長い歴史の中で、
社会的生物として生きて行くために獲得してきた技術だと思うのです。
獲得してから日が浅いため、
「誰かを下に見たい」という衝動の方が、前に出やすいのは仕方ないですが、
それをみんなで唾棄することによって、
数万年後には、人間のDNAに
「誰かを下に見たり、攻撃することで、自分の満足を得るのは恥ずかしいことだ」
というDNAが植え付けられるのではないか、と思います。

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