先祖代々、道楽者。
KBS京都の「京都浪漫 悠久の物語」って番組見てたら、
狂言師の茂山七五三さんが京都の粟田神社を訪問して、
おじいさんの茂山眞一さんが
昭和十五年、狂言「粟田口」を演じたときの額が写った。
何気なく見てたんだが、カクテル効果みたいなものなのだろうか、
「橋本」という文字があれば、すぐ目に留まる。
今回は旧字体だったが、「附祝言 橋本利七」と読める。
ん?「利七」?
おとんのおとん、つまりおじいちゃんはワシが生まれたときは既に亡くなっていたが、
確か「利七さん」て名前だったはず。
ほんで、演芸好きの道楽者で、歌舞伎役者さんを家に呼んで、
おとん含めた家族みんなで、歌舞伎役者さんと撮った写真も見たことある。
もしかして、と思っておかんに確かめると、
果たして、やはりワシのおじいちゃんだった。
その頃、狂言の茂山さん、かなりご苦労されてて、
演芸好きのおじいちゃんが、いろいろお世話させて頂いてたらしい。
この数年後の戦後、農地改革で、ほとんどの財産を失うけど、
おとんの実家はかなりの素封家で、
太秦の撮影所にも、土地をお譲りしたという話も聞いた。
おじいちゃん自身、名誉職みたいな肩書仕事以外はしたことなく、
明治生まれやのに、趣味はスキーとテニスやったらしい。
はいからやなあ。
ジャンルは微妙にずれてる気がするが、
道楽者の血は脈々と受け継がれてるってことなんやろなあ。
後日、従兄弟同士で、利七さんの研究、始めました。
(20230525記)