映画「選ばなかったみち」。

認知症の作家の父と、それを献身的に介護する娘の物語「選ばなかったみち」。
ストーリーは現実と、父の過去に関する二つの幻想、
三つの物語が、少しずつ、シンクロしながら
同時進行する形で進んでいく。

ただでさえ3つの話のうちの二つが幻想だし、
描写が抒情的なので(幻想だからか)、
わかりにくいっちゃ、わかりにくい物語なのだが、
それぞれに魅力的な話なので、
次第にひきづり込まれるように没入していった。

観終わってから、父にとっては、
幻想こそが、その時々の現実だったのだろうなあ、
と思った時、不意に恐ろしくなってしまった。
今、ワシが、生きてるこの現実も、もしかしたら幻想かもしれない。
ワシの本体は、どこかの病院にあって、
家族に介護してもらってるのかもしれない。
そして、それを立証する手段は、
この世界でしか生きてないワシにはないのかもしれない。
う〜む、最近記憶力の衰えが著しくて、
「ワシは若年性認知症なのだろうか」と不安になってたから、
そう思ったのか。

だとしたら、この映画の主人公のように、
もう少し劇的な幻想を抱いてもええのになあと、
小市民な毎日を振り返るのであった。
これはこれでけっこう幸せで気に入ってる毎日なんですけどね。

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