憎しみも連鎖するが、共感も連鎖するはず。映画「クレッシェンド 音楽の架け橋」怒涛のレポート⑤

※少し、ネタバレあり。

もう二代も三代も前から紛争が続いているパレスチナとイスラエルの若者を集めて、
世界的な指揮者がオーケストラを作ろうとする、
実話から着想を得た物語「クレッシェンド 音楽の架け橋」を観た。

つい先日、バンクシーの展覧会に行って、イスラエルの造った分断壁のことを考えただけに、
なんとなく気持ちはパレスチナ寄りで、臨んだことは否めない。
けど観てるうちに、イスラエルにはイスラエルの正義や怒りもあるんやなあ、
と当たり前のことに改めて気が付く。

大きな映画の流れは、ほぼ予想通りだ。
ふたつに分かれて罵り合う楽団員たち。
でも、お互いを知れば、少しずつ相手の痛みを分かって、
同じ方向を向くようになる。

その指揮者が、ナチスの残党を両親に持つ、という設定には驚いたが、
それが上手く、ストーリーに絡んでゆく。
けど、最後の最後、心根のところでは、お互いの憎しみは消え去ってはいない。
憎しみは、連鎖し、相続され、増福していくのだなあ。

最後「コンサートがうまく行って、溝が埋まるんだろうな」、
最終的には予定調和か、、と思った刹那、それは起こった。
「えええ??そう来るの?」
予定調和は思いっきり、ぶった斬られた。

そして、指揮者が意気消沈して姿を消した後、
エンディングが訪れる。
「こっち方向のエンディングなんだろうな」とは思ったけど、
これはこれで泣きそうになってしまった。

指揮者が立ち去った後、若い楽団員たちだけで、起こした共感の息吹。
これはうまい脚本やな。
今は無理でも、その気持ちがあって、種を蒔いておけば、
次の世代が、その芽を育ててくれるだろう。
代々受け継いできた憎しみを消すことは難しいけど、
憎しみが連鎖するように、共感もきっと連鎖していくのだろう。
この希望の小さな息吹を、相続して、増幅していくことで、いつかは、、。
若い世代が指揮者に頼らず、そのシーンを創り出すことで、
そのことを感じさせる、よう練り込まれた映画だった。

この映画を観たのは、宝塚、売布神社にあるシネピピア。
ベランダに出ると、初夏を思わせるきれいな青空が広がっていて、
この映画を観た後の心地よさに、うまく重なってくれた。

ちなみにSNSには書いたけど、
この光景は、映画観終わったときに見る風景として、
ワシ的三本の指に入る好きな風景。

ちなみに残り二つは、大阪ステーションシネマと、十三第七藝術劇場。
次点で出町座である。

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