何より、生の声が強い。映画「ひめゆり」。

2006年のドキュメンタリー映画「ひめゆり」のリバイバル上映を観てきた。

実際の生存者、22人へのインタビューを中心に構成された映画。
よくぞ、この言葉たちを、残してくれたものだと思う。
実際撮影中にも、3名が他界され、2名は病気で外出できなくなったそうだ。
そして、生存者の中には、この当時、まだインタビューに応えられず、
出演されてない方もいらっしゃるらしい。
それほど、心の傷が大きいのだろう。

ひめゆり学徒隊の話は、何度も映画化されてきたが、
やはりストーリー映画には脚色が付きまとう。
ひめゆり平和祈念資料館で、語り部をしていた生存者たちが、
そこに違和感を感じ、生存者が減少していくことへの危機感もあって、
映像を残しておきたいと、この映画の制作に乗り出したらしい。

映画は時系列に三部構成になっていて、
一部は、動員されたところから南風原での看護活動の時期。
二部は、南部への撤退が始まり、解散命令が出るまで。
三部は、解散命令が出てから多くの学徒隊の人が死を迎える期間。

「ひめゆり」と言われて思い浮かべるのは、この映画で言うと、
第三部というのが一般的なんだろうけど、
時系列に分けてあるので、すごくわかりやすかった。
その時、その時の、少しずつ違っている悲惨さ、少女たちの心の動き、
それが、すごくリアルに感じられた。
リアルと言っても、彼女たちが受けた心の傷を
全部理解できたわけではないだろう。
だけど、少しでも近寄ろうとする気持ちにはなれて、
それを大切にしたいと思った。

一部では、友だち同士で笑い合う話も出てくる。
本当に普通の元気な少女たちだったんやなあ。
そのことが、この悲惨な話をよりリアルに感じさせてもくれる。

インタビュアーの声を極力カットして、
彼女たちの言葉で進めていく手法も、
リアルさを増していたんじゃないかと思う。

彼女たちが口々に言葉にする生き残った申し訳なさ。
震災など死者の出る大きな事件のあったとき、
生き残った人たちが、口にすることではあるが、
当時は「生きて虜囚の辱めを受けず」の時代、
彼女たちが、ここまで、それを口にする背景には、
その教育の影響もあるのではないか、と思ったりした。

時間を置いて、もう一度観たいと思った、
大切なことがいっぱい詰まった映画だった。

この映画の普及に深く関わり、キャッチフレーズにもなった
Coccoさんの言葉の全文。

映画の完成を待たずに3人の証言者が亡くなっている。

ひとつひとつ私たちは失くしていく。全てを失くす前に叶えたい。

おばぁたち、待っててね、なんにも分かっちゃいない私はせめて

おばぁたちが好きだった歌をうたおう。

鮮やかに見えるようだ。壕の中の笑い声。

あなたが笑ってくれる歌を届けるからね。

“忘れたいこと”を話してくれてありがとう。

“忘れちゃいけないこと”を話してくれてありがとう。

歌手 Cocco (毎日新聞「想い事。」より)

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