ドキュメンタリーの強さ「私だけ聴こえる。」

アカデミー賞を獲得した、あの映画のドキュメンタリー版のような映画、
私だけ聴こえる」を観てきた。

こっちには、特別の才能を持った人も出てこない。
ドラマチックなストーリー展開もない。
だけど、だからこそ、彼らの苦しみや、喜びが
ダイレクトに伝わってきた。
あの映画を観て感動した人にこそ、観てほしい映画だと思った。

まず、びっくりしたのは、多くのCODAが
「ろうになりたかった」と口にすること。
出演者の大抵は、ご両親がろうの方、
兄弟姉妹もろうで、家族の中で自分だけ聴力がある人も少なくなかった。
そのことで感じる疎外感、どちらにも属していないという意識、
家族と他の人の通訳に徹して、自分の気持ちを抱いてはいけないかのような思い、
いろんなことが積み重なっているのだろう。

その分、CODAの人だけのキャンプでは、
みんなが驚くほど、イキイキとしてた。
CODA同士、説明せずとも気持ちが分かり合える、共有できるのって、
ほとんどのCODAが、このキャンプで初めて感じたようだ。
映画観てるだけでも、このキャンプがあって、ほんまに良かったなあ、と思った。
キャンプが終わってからも、
このキャンプで出会ったもの同士が連絡取り合ってて、
ほんまにホッとしてしまった。

観てて思ったのは、手話って、音声会話の補助ってだけじゃなくて、
完成度の高い、ひとつの言語なんやなあ、ってこと。
ひとつの言語であるからには、その言語固有の文化もある。
どういう形かは、まだわからないが、
手話文化が、これから認められ、話題になる時代が来そうな気がした。
そうなれば、ろうの人や、CODAの人が活躍できるフィールドが広がるだろう。

CODAならではの利点も語ってる部分があって「なるほどなあ」と思ったのは、
耳で聴きながら、目でも会話するので、
言わば、字幕を観ながら耳でも聴いてる感じで、意味が理解しやすいらしい。
ワシも、最近はテレビ番組、字幕付きで観ることが多いので、
その便利さは実感できた。
それが日常会話で味わえるのは、少し羨ましいなあ。

あと、ろう以外の人との会話でも、
必ず相手の目を見て話をするようになるらしい。
それも、ヘタレのワシには、少し羨ましい話ではある。

音楽、よかったなあ、と思って、クレジット観てると、
音楽がテニスコーツさんでビックリした。
なんで?と思ってると、さらにビックリ。
この映画の監督、プロデューサーが日本人だった。
なんだか、ワシまで誇らしい気持ちになった。

そう言えば、始まる前、手話で会話する人が多かったのも、驚いたけど、
あの人たちって、隣同士に座ってたら、
映画の途中でも、誰にも迷惑かけずに会話できるんだろうか。
だとしたら、それも少し羨ましいなあ。

参考までにアカデミー賞とった方の映画の話。


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