忘れるから生きていける。覚えているから生きていける。映画「百花」。

久しぶりに大きな映画館で観た映画は「百花」。

認知症の母と、振り回されつつ、
次第に過去と向かい合って行く息子の物語。
「認知症」をベースに忘れること、覚えていることの両方の意味を探ってるのが素晴らしい。
何もかも覚えていることは決して幸福なことではない。
忘れてしまった方がいいこともたくさんある。
もちろん、忘れない方が幸せなことも山ほどあるんだろうけど。

だけど、それは自分ではコントロールできない。
完全に無くしてしまったわけではないけど、
トラウマのさらに奥に封印されてしまった大事な記憶もある。
最後、あることがきっかけで、それが溢れるように出てくるシーンは息を呑んだ。
それまで「少し演出過剰でオーバーすぎるかなあ」とも思ってたんだけど、
最後のシーンですべてを許せるような気がした。
(ワシが許す、許さん言うのは、おこがましいですが)

忘れていたからこそ、思い出す時の喜びが大きいってこともあるのかもしれない。

原田美枝子さんの演技が素晴らしい。
表情ひとつで、すごく大きなものを語ってしまう。
ああ、それなのに!(朝ドラの話です)

ちょっとだけネタバレになるけど、
介護施設のシーンで、花瓶に、
マーガレットらしき花が、3つ咲いていた。
この家族では、花は「一輪挿し」と決まっていたはずなのだが。
けど、このしっかりした映画を作るスタッフが、
それを見逃すはずはないと思うので、
あれは、その家庭ルールも忘れるくらい、
認知症が進んだことの象徴なのだろう、と思うことにした。

観ながら、前半は、ずっと母のことを考えていた。
ワシのおかんは90を超えて、足腰は弱って来ているものの、
頭の方は、しっかりしてて、今でも一人で暮らしている。
けど、そろそろ、どの要因かはわからないけど、
一人で暮らせなくなるかもしれない。
その時は、どうしたらおかんが一番幸せなのかで、
対応を決めていきたいな、と映画観終わって、思った。
ワシ自身のことも、そろそろ考え始めなあかんかも、やけど。

構造から言うと、「認知症」という病気を素材に、
それと繋がりの深い、「記憶」というところに、
ポイントに絞り込んでストーリーを広げていく、という、
ある意味、広告に似た作り方してる映画かもしれんと思いました。

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