橋本ヒネモスのBBBムービーvol.2。「百年の夢」「グレイガーデンズ」「アメリカから来た少女」「あの娘は知らない」。

「百年の夢」。

朽ちていくものが好きだ。人でも、モノでも。
いろんな経験や時間が、積み重なっているはずなのに、
削ぎ落とされて、剥がれて、本質しか残ってない。

すべてが詩であり、音楽であるように感じた。
一瞬一瞬を切り取ると詩であり、そこに時間という概念を加えると物語になる。

スロヴァキアの片田舎の老人たちが、こんなに美しく感じるとは。

響き渡る美しい音色は、バグパイプのルーツのGajdaかな?

「グレイ・ガーデンズ」。

アメリカ・ドキュメンタリー映画史上の傑作らしいのだが、う〜〜む。
そんなに長くない映画なのだが、ワシは途中で、しんどくなって
「早く終わって欲しい」と思ってしまった。

ケネディ家にも繋がる名家の年老いた母と初老の娘が、
廃墟のようになった元豪邸で、
互いに、我儘を言いまくりながら、
結局は依存し合いながら、暮らしてるだけの映画に思えてしまった。
ファッション関係者に評価が高いらしいのだが、
ワシ、そこには、あまり興味ないしなあ。

食べてるものも、ほとんど缶詰とか箱詰めのシリアルで、調理、という概念はなさそう。
お互いの口喧嘩は、ほとんど過去の優雅な時代に築き上げてしまった
プライドとプライドのぶつかり合いで、
お互い、親離れ、子離れができてないだけのような気もした。
娘は「ここから出たい」と繰り返し言うが、
きっとここから出たら、生きていけない。

なんだか、だんだん、この豪邸が、檻と塀のない牢獄のように思えてきて、
ワシも、映画が終わるまでの時間、
出ようと思えば出られたのに、
精神的に、牢獄に閉じ込められたような気になって、
出られなかったのかもしれない。

「アメリカから来た少女」。

映像も、人物描写も、繊細で美しい映画だった。
お互いを愛してるし、大切に思ってるのに、
すれ違い、言い争いばかりしてしまう家族。

特に、主人公の思春期の少女の
アイデンティティ問題やカルチャーギャップを含めた焦燥には、
ヤキモキしつつ、めちゃくちゃ共感した。

映画は、細やかで余韻ある寸止めで終わる。
上手いなあ。
そのエンディングのおかげか、ワシの心には、
この家族の、これからの幸せを心から祈る気持ちが、後を引いた。

「あの娘は知らない」。

映画には出てこない一人の少女をめぐる、二人の若い男女の物語。
とにかく主人公二人の、静かで抑制された芝居が良かった。

静かで、登場人物以外には、何も起こってない、と言ってもいいくらい、
事件もなく、淡々と物語が進んでいく。
二人の心の中の少しずつの変化を、
言葉ではなく、状況で描いていく演出が秀逸。
たぶん、出てこない少女のキャラクターやエピソードも、
そうとう練り込まれてて、
主人公二人は、それを思い上げきながら、演技してるんやろうな。

あまり音楽がないだけに、ところどころに入る音楽が、
的確で印象的だった。

一つだけ、最後までわからなかったのはタイトル。
「あの娘」は誰にことを指すのだろう。
どういう意味があるのだろう。

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