戦国を文化で乗り切った達人。「四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎」@京都文化博物館。

織田信長の弟で、千利休の高弟、本能寺〜豊臣時代〜徳川時代を生き延び、
75歳と当時では長寿を全うした、織田有楽斎、織田長益の展覧会
四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎」を観に
京都文化博物館に行ってきた。

有楽斎(うらくさい)というと、有楽町の語源となった説が、有名だけど、
この説は、現在では俗説と言われているらしい。
一説によると、数寄屋町は茶人の集まる町だったので、
有楽斎と結び付けられて、その名前がついたとか。
つまりは、茶人の代名詞にまでなっていた、ということかもな。
ワシも戦国武将というよりは、「茶人」「粋人」としての長益に興味があった。

数々の文献資料、特に手紙のやり取りから、広い交友関係も見えてくるし、
さすが当代随一の茶人、
茶道具、書など、素晴らしかった。

ワシ、千利休はかっこええけど、渋すぎで、
古田織部は好きやけどちょっとアバンギャルドなとこもあるので、
あの頃の人では、織田有楽斎か小堀遠州が落ち着いてて、
ホッとするなあ、と改めて思った。

しかし、京都文化博物館、大丈夫か?
今は令和やぞ。
SNS全盛の時代やぞ。

展示のスペース抜けて、
展覧会グッズの販売コーナーも
終わったとこの壁に貼ってた
フライヤーの情報が気になったので、
写真撮ろうとすると、
係の人が慌ててやって来て静止された。
まだ館内だから撮影禁止らしい。

そして、フライヤーそのものを下さった。
なんだそれ?
頼んででも、広めてほしいような情報やのになあ。

まあ、一人一人はルールやから、
そうせんと仕方ないんやろうけど。
何を誰から、何のために守ってるのか?
貴重な労働力をなんのために使ってるんやろ。

ワシは映えとか、どーでも良いが、
今やいろんな美術館で撮影OK、
少なくとも撮影してええコーナーを設けてる時代、
アップデートせんと、
ほんま取り残されるよ。
早く、館内の偉いさんで話し合ってほしい。

観終わって、次の目的地に行くのに便利なので、
別館を通って三条通に抜けようとする。
この別館は、昔の日銀の建物で、
内部も素晴らしい。

その日は、晩にコンサートでもあるのか、
別館のホールでは、女性がチェロの演奏をしていた。
反響が、柔らかくて、壁に、ワシに、染み入るようで、
しばし鑑賞させていただく。

そういえば、昔、ここに生活向上委員会、観にきたな。

たまたま、この日、晩には大阪戻って、
梅津和時さんの出るライブに行く予定だったので、
なんだか、巡り合わせを感じて、嬉しくなった。

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