灼熱と土砂降り7月26日の京都②島原探訪。

細辻伊兵衛美術館を出たのが、11時過ぎだったかな?
祇園祭も終わって夏本番の京都の暑さは、
ますます牙を剥いてて、
ちょい恐ろしくなるほどだった。
少しだけ歩いて、地下鉄烏丸御池駅に逃げ込むように入る。
烏丸線で二駅、五条に向かう。
歩いても、それほど遠くないけど、
この暑さだと、それはやめといた方が身のためやな。

たまたま乗った車両に扇子のディスプレイがあった。
「センスある風景」という、
めっちゃセンスないフレーズを思いつく。

五条で降りてバス停に向かう。

けっこう味のあるビルやな、思ったら、公文が入ってた。
ここに通う小学生が、ちょっと羨ましい。
その贅沢さ、小学生は分かってないやろうけど。

バスを降りて歩く。
暑さは、ますます凶暴になってる。
10分足らずの間に、水分補給二回。

行き先は島原。
こないだ、すぐ近くの京都市中央卸売市場に来てたが、
その時は、まだ島原で行きたいところが、
まとめて見学できる時期じゃなかったので、
時期をずらしたのだった。

そのひとつめの目的地は輪違屋。
昔は、置屋だったらしいが、今では宴会もやるお茶屋も兼ねている。
つまり、現在も現役で営業中で、太夫も抱えてるそうである。
すげえなあ。
一見さんお断りらしいので、
どなたか、面識のある方!
連れてってください!

ちなみにザクっと言うと、
太夫や、芸妓、舞妓を抱えてお稽古したり、お茶屋さんに派遣したりする
今で言う芸能プロダクションのようなところが置屋。
お客さんが来て、宴会をするところがお茶屋さんである。

中は、そう広くないけど、丁寧に設えられたお部屋が連なる。
流石にどの部屋も品がいい。
ダンスホールまである。
そう広くないのに、階段が幾つもあるのは、仲の悪い客が鉢合わせしないためらしい。
近藤勇の書いた書や、桂小五郎にまつわるものがあったりするので、
めっちゃ「なるほど」と思った。
ちなみに、基本的には、お客さんの入るお座敷は二階にあるので、
揚屋(あげや)と言うらしい。

門を出ると、お向かいさんが「橋本」さんだった。
ワシの本籍も、ここから1キロくらいのところ、
もしかしたら遠い親戚かもしれんなあ。
「橋本」ってのは、花街にも縁のある名字らしいし。

島原の入口、大門を見る。
やはり柳があるんやなあ。

大門入ってすぐのところ、普通なら寿司屋がありそうなロケーションに
鹿の子」という氷屋さんがあった。

腹はそう減ってないけど、
暑すぎて、水分補給せんとあかん、思ってたのでちょうどええ。

ほうじ茶のを頂く。
ワシは甘いもの音痴なので、ようわからんけど、
美味しかったと思う。

ここから次の目的地、角屋まで、町並みを楽しみながら歩く。

2階の窓の格子デザインがええなあ。

お「きんせ旅館」。
確かColloidが配信してた所やないかな?

そうでした。

今度は夜に来てみよう。

ほほう。平安のその昔、鴻臚館(昔の迎賓館みたいなもの)があったとこなんや。
歴史的にも「おもてなし」の町なんやなあ。

そして、角屋
なんか、何もかもスケールが違いすぎて圧倒される。
建物好きなんで、いろいろ観てきたつもりやけど、
どこにも似てない。
こんな建物、初めてや。

今ある祇園のお茶屋さんと大きく違うのは、
台所、厨房のあるところと、そして茶室のあるところらしい。
今の祇園のお茶屋さんは、料理は仕出しで取り寄せるが、
ここは、料理も、自分のところでやってて、
茶室まであって、
言えばワンストップの総合施設やったんやなあ。
芸妓さんとか太夫さんだけは、輪違屋さんとかの置屋さんから
来てもらったらしいけど、
それは、どの女性が贔屓の人にも来てもらうための方策なんやろうな。

まず、圧倒されたのは、厨房を中心とした百畳の部屋。
天井もものすごく高くて、動線がちゃんと考えられてる気がした。
けど、ここいわゆるスタッフルーム、お客さんの入らないとこやんな。
そこにここまで手をかけてるってのは、
やはりそれだけのことが必要やったからなんやろなあ。
なんだか、いちいち感心してしまう。

ここは、山陰線のすぐ横で、
戦争中、建物疎開みたいなんで、取り壊されそうになったらしいけど、
西郷隆盛さんが足を洗ったタライが残ってて、
軍部も「そんな建物を壊すわけにはいかん」となったらしい。

芹沢鴨が殺される前に酔いつぶされたのも、ここやったらしい。

なんか、もうクラクラする歴史の年輪やなあ。

秋以降には、二階部分の公開もあるらしいので、
また来ようと思う。
その時に、きんせ旅館で酒飲むことにする

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