映画「カタブイ」。

「自由のために必要なのは、翼ではなく、根っこだった。」
素晴らしい言葉だなあ。

映画「カタブイ」をようやく観た。
後悔ってほどでもないが、
「もっと早く観ておけば良かった」とは、やはり思った。
沖縄に13年住んだスイス人監督が描く沖縄の人々の暮らし。
ドキュメンタリーだけど、
そこには基地反対運動などは描かれず、
今の沖縄に生まれ、今の沖縄に暮らす人たちの日常が淡々と描かれ、
インタビューで日々感じてることが、
穏やかな表情で自然と口から出てゆく。

制作者と出演者の位置が近い。
短いカットの裏に、相当の時間、相当の信頼関係がなければ、
これほど対象に近く、自然な表情を撮ることはできなかったんじゃないか。
マルチーズロックのボーカリストで、
栄町の生活の柄の店長、糸満盛仁さんのお祖父さんの100歳のお祝い、
沖縄にしか流れない緩やかな時間の中、
盛仁さんとお祖父さんの柔らかい笑顔が、
沖縄のすべてを物語ってるように感じてしまったのは気のせいか。
カメラは、そのお祖父さんのお葬式にも入って行く。
棺桶の中の眠られるお姿どころか、お骨拾いの場面まで。
しかし、それはセンセーショナルな映像ではなく、
「ごく親しいので、たまたまそこに居合わせた」
親戚か友人のような視点。

その中で明らかになって行くのは、
穏やかに戦っている沖縄の人たちの緩やかで、しなやかで、したたかな生き方。
何も、目に見える抵抗だけが抵抗ではない。
それはそれとして必要な場合もあるけど、
伝統を、親から受け継いだものを大切にしながら、
ヤマトや、アメリカなど、
自分たちを苦しめる側面もある存在の文化も、取り込んで行く。
そんな穏やかな抵抗もあるんだな。

基地反対の活動をする人も、
それだけのために生きてるのではない。
毎日の中では、基地に働く米国人と親しげに話すこともある。
反対運動などにはエネルギーがいる。
いつもそんなマックスのテンションで生きていけるわけはない。
沖縄の人たちは、そんな風に自分で手綱を緩めたりしながら、
無意識のうちに抵抗してるのだ。
こんな長く、しなやかな抵抗に勝てるわけがない。
いつか沖縄の人たちの無意識の抵抗が
勝利を掴む日が来るだろうと、映画を観ていて感じた。

しかし、映画館を出て、沖縄を思わす日差しに当たったとき、
それは沖縄の人たちが無意識であろうと抵抗を続けていること、
つまり親から祖先から受け継いだものを、
守り継いで行こうとしていることが前提だな、と思った。
「無意識の抵抗」が単なる「無意識」になったとき、
沖縄という場所から、沖縄という文化が失われるのではないか、
そんなことも感じてしまった。

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