おおむね共感、拭い切れない違和感。BBBムービー「PERFECT DAYS」。

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毎日、毎日、同じ時間に起きて、同じことをして、仕事に出かける。
休日は休日で、毎週、同じように行動する。
極度にルーティン化した禅の僧のような毎日。
だけど、毎日少しずつ、違うことも起きる。
ミニマルミュージックを聴いてるような展開。
その不意の出来事を受け入れつつ、楽しみ、幸福感を抱く。
成功も、名誉もないけど、ひとりの人間として、幸せな毎日。
小さな幸せを、ひとつずつ集めていくかのような毎日。

ずっと変わらないような日々。
だけど、それはいつまでも続くわけではない。
第一に人間は老いるものだから、死ぬものだから。
永遠に続くかのようなこの毎日もいつかは終わる。

だからこそ、この毎日は、同じように見えて、
二度とない、かけがえのない毎日なのだ。
この男の、すべての人間の、
幸せも、悲しみも、このかけがえのない毎日の積み重ねから生まれる。
悲しみがあるから、幸せを感じる。
幸せを感じるから、悲しみも生まれる。
幸せと悲しみは、いつもコインの裏表なのだろう。

ヴィム・ヴェンダースの目を通すと、東京はこんなふうに見えるのか。
と、感心してしまう美しい映像。
タイトルにもなってるルー・リードの「Perfect day」はじめ、
かかる音楽も、すべてがめっちゃいい。
少なくとも、ワシ好みである。

役所広司さんはじめ、出演者もすべて素晴らしい演技をしてる。
ある意味完璧な映画で、
ワシもこんなふうな毎日に喜びを感じたり、
幸福感を抱いて生きていきたいと思う。
評判になるはずである。
批評家にも、評価されるはずである。

なのに、なぜか好きには、なれない。
もう一度観たいとも思えない。
なぜなんだろう。
観た後、ずっとそのことを考えていた。

まだ考えてるし、結論は出ていない。
「できすぎ」なことへの幼稚な反発はもちろん、あるだろう。
けど、それだけでは説明できないような、
奥歯に何か挟まったような気持ちが拭いされない。

少し浮かぶのは、みんながこんなふうに生きていくことって、
誰に都合のいいことなんだろう、
誰が一番得をするのだろう、という疑問だったりする。
多くを求めず、現実にあるものに満足して生きていく人々、
為政者にとっては、こんな扱いやすい人たちはいない気がする。

そう思うと、主人公が、行政のために働く公務員であることも、
すんなり落ちていくような気もした。
実際にあるトイレで撮影してるらしいので嘘ではないのだろうが、
嘘くさくは見えてしまう美しすぎる公衆トイレの数々。
こんなことを考えてしまったきっかけは、
この嘘くささに、違和感を覚えたことが発端かもしれない。

そうか、なんとなく行政の広報誌を見てるような気分、
それが違和感の正体なのかもしれない。
もちろん、ヴェンダースが、そんなことを考えてるわけではないと思うが、
この映画を制作する、というプロジェクト全体に、
そんな広報臭があるのかもしれない。

主人公の名前「平山」は、小津安二郎の映画で笠智衆が演じた人物から取ったと聞いた。
元々、小津安二郎を敬愛するベンダースならではの、
小津安二郎らしさは、映画の随所に感じられる。
だけど、小津作品は、観終わった瞬間、もう一度観たくなるほど、
何度も観たくなるのに、
この映画は、そうならないのだろう。

要素的には、この映画は小津映画を網羅してるようにも思えるが
なんとなく足りないものも感じる。
小津作品も、今ある現実や、抗えない変化を受け入れて、
生きていく人々を描いているけど、
そこには、ある意味の「諦観」みたいなものがあるように感じる。
すべてを肯定するわけではないけど、
そうせざるを得ない、そうしないと生きていけないというような諦観。
この映画の平山のように、今ある人生を全面肯定してるわけではないような気がする。

そう言えば、ルー・リードの「 Perfect Day」も、
麻薬や、性的倒錯の果てに訪れた、刹那の、たった一日を歌ったものだと思う。
ルー・リードが生きていたら、この歌をこの映画に使うことを認めたのだろうか。
「Perfect Day」と「PERFECT DAYS」、
「S」のあるかないかは、とてつもなく大きいのかもしれない。

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