課題が山積みなんやと思う。BBBムービー「望むのは死刑ですか オウム“大執行”と私」。

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まだ解決していない、と言うか、ちゃんと結論の出せてない事件だと思う。
この時に、きちんと結論を出してなかったからこそ、
いまだにカルト教団にまつわる事件が起こるのかもしれない、と思ったりもする。

2018年7月のオウム加害者の死刑、大執行。
それに対する、さまざまな立場の人の、さまざまな意見。

この事件に対する死刑の是非、死刑制度そのものに対する是非、
観てて、頭の中の整理が、全くつかなかった。
ただ、1ヶ月のうちに、この13人を死刑にしてしまうことの異常さは感じた。
それによって、明らかにすべきことが、
分からず終いになってしまったんや、ということも感じた。
一体、何が目的の大執行だっったんだろう。

映画を観てて、今まで考えたこともなかったことに二つ気がついた。
ひとつ目は、オウム教団から家族を取り返そうとする
「オウム真理教家族の会」の中には、
死刑囚だった人の家族もいらっしゃる、ということ。
この事件、加害者と被害者の境目が、すごくあやふやなのかもしれない。
もちろん、間違いなく被害者、という人もいるけど、
教団側の人間は、ある意味、被害者でもあるんやなあ。
だからと言って、やってしまったことは変えられないんやけど。

あと一つは、死刑を執行する人は、刑務官で、
死刑囚を世話していた人が、その役割を担うらしい。
それは、キツイやろうなあ。
死刑囚やと言っても人間やから、
会話をしていたら、情が湧いたりすることもあるやろう。
情が湧かなくても、なんらかの感情は持つだろう。
その人を死刑とはいえ、手を下す役割をやらされる。
見知った人の人生を終わらせる役割を担わされるのだ。
背負い切れないほどの苦痛を感じる人がいてもおかしくない話やと思う。
国による殺人教唆ちゃうか、と思ってしまった。

日本では死刑が極刑だから、遺族は死刑がある限りは、
死刑を求めてしまうだろう。
それは遺族感情としては、仕方ないことだと思う。

この映画を観た日に家に帰ると、
「京都アニメーション放火殺人事件」の裁判に関する番組をやっていた。
この映画のことを思い出し、
頭の中、ごちゃごちゃのまま、
「オウム真理教事件」と「死刑制度」 について、
それぞれ、ちゃんと考えて行かんとあかんなあ、と
認識を新たにした。

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