きっと、まだ燃えている。

映画「ミシシッピー・バーニング」を観る。
計算してみたら、三十年以上ぶりだった。
当時観たときには、わからなかったアメリカの持つ闇の部分も、
少しは感じられたように思う。

アメリカ南部ミシシッピ州で起きた公民権運動の若き活動家
(白人二人、黒人一人)の行方不明事件に、
北部からエリートと叩き上げの捜査官二人組がやってきて、
事件を解決する事実をベースにした物語。
本当に事実に基づいているかは、当時も議論になったそうだが、
ここでは、その話には触れない。

若い頃観たときは、黒人差別のことをベースにした犯人探しの物語として
観てた部分が大きかった気がするが、
今観ると、きっと、その根底にある問題は、今も解決してないんだろうなあ、と感じた。

トランプ大統領が当選した選挙の時「なんで、あんな出鱈目な人を支持するのか?」と驚いたが、
なんかの解説で、置き去りにされたヒルビリー層の話を知って、
「なるほど、そういうことか」と思ったりもした。
(その状況が理解できただけで、トランプ大統領の主張に賛意を表したわけではないです。)

映画のセリフでもあったが、根底にあるのは、本当の敵は貧困なのだな。
ちょっとずれるかもしれないけど、なんとなくブルーハーツの歌の歌詞を思い出した。
「弱いものたちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く」。

映画の中で犯人は捕まった。
けど、犯人を産み出した社会は、変わったのだろうか。

その構造と似た構造が、日本にも産まれ、そして育ってきているように思う。
なんとなく、観てしまったが、今、観るべき映画を観た、という気がした。

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