映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」。

遅ればせながら、映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」をDVDで見ました。
言ってしまえば、チームスポーツものの典型なんですが、
泣けて泣けて、しょうがなかったっす。
普段のワシからすると、この手の映画に感動して泣く、
っていうのは、非常に恥ずかしくて、隠しておきたいことではあるのですが。

1931年、その頃、日本に併合されてた台湾の南部、
嘉義農林学校の野球部が甲子園を目指し、
結果的には甲子園で準優勝する実話を元にした話。
なんで、泣けてきたのか、よく分からないっちゃ、分からない。

だけど、台湾原住民、台湾人(漢人)、日本人が
民族を超えて、繋がり合って、信頼し合う姿に感応したとこは、否めない。
なにも、戦前の大東亜共栄圏の思想が正しいと言ってるわけではなく
(この映画がそういう理解で汚されるのは、本当に嫌)、
どんな状況でも、そこに生きる人たちが、民族同士憎しみ合うのではなく、
民族を超えて仲間として認め合うことが美しいと
感じたのだろう。

実際、甲子園でも大ブームを起こし、菊池寛が、
「僕はすっかり嘉義びいきになった。
日本人、本島人、高砂族という変わった人種が同じ目的のため
共同し努力しているということが、
何となく涙ぐましい感じを起こさせる」という言葉を残している。
(これは映画中でも、最初は差別的な発言をしていた新聞記者の
決勝戦をみながらの言葉として、少し変えて使われている。)

映画では、土、雨、泥が多用される。
匂いが漂ってくるくらいのこだわりようだ。
実際、嘉義は町中を北回帰線が通る町らしく、
熱帯性の集中豪雨も多いのだろう。
その頃の舗装状況を考えると、町中でも
雨が降れば、泥まみれになることは当然かもしれない。
狙いとしては、今の人間が忘れてしまった、
土とともに生きることの象徴、
と簡単に言えてしまうのかもしれないが、
それを超えて、泥臭くても、ひたすら純粋に頑張る選手たち、
そして、同じく泥臭い嘉義の市井の人々の姿とも重なり、
物語に感動に繋がるリアリティーを付与してる気がする。

少しずつ、賑やかになっていく嘉義の町を描くところは、
ちょっと三丁目の夕日を思い出させたが、
それと、後で出てくる戦時中の嘉義の町とのギャップ、
少しずつ積み重ねたものが、「戦争」という事態ひとつで、
こんなに変わるものなんだ、というのも、感じさせた。

映画中の選手たちは、一人一人が瑞々しく、愛おしい。
仲間でバカやったり、年上の女性に淡い恋心寄せたり、
最初は能天気に野球で遊んでいたのが、
近藤監督に感化されて、いつの間にか、必死になってる姿に
観てる方もいつの間にか、共感している。
勝っても、負けても、監督に泣くことを禁じられてた選手たち。
決勝で敗れたときの明(ピッチャーで4番)の
「監督、僕たちはいつ泣けばいいのですか?」という涙混じりの声は、
この映画で一番人を泣かすポイントかもしれない。

案内人として、二回戦で戦った札幌商業のピッチャーを配したのも、よかったと思う。
映画は、そのピッチャーが戦時中、大尉として台湾に行き、
嘉義の町を訪れるところから始まるのだが、
同じ学生で、同じように野球が好きで、野球に夢中になった人物の目を通すことで、
嘉義農林の選手たちが、何も特別な存在ではなく、
野球が好きで、野球になら、何をおいても夢中になれる男の子たちだったことが、
リアリティーを持って見えてくる。

時間をおいて、もう一度見たい映画にまた巡り合ってしまった。

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