仲村清司「本音の沖縄問題」。

仲村清司さんの「本音の沖縄問題」読了。

3年前に書かれた本だけど、今も続く沖縄問題について、
ハッとするような視点から読み解いてくれる。
基地問題、復帰問題、経済問題、
作者は大阪生まれの沖縄人2世だが、
そこに振り回されず、極めて冷静に沖縄の今を分析する。
見えてくるのは、日本全体の矛盾が凝縮されたかのような、現在の沖縄の状況。
日本が国内に置きたくない矛盾が、沖縄に回されたからこそ、
沖縄には、他の都道府県にはない問題が山のようにあるのだろう。
(言っておくが、他の都道府県にそれぞれの問題がないとは、言ってない)
いわば、沖縄は、未だに日本の「盾」の役割を担わされているのだろう。

よく言われる依存体質についても、作者はその本質に鋭く切り込む。
読んでて思ったのは、沖縄の場合、額は巨大だが、
基本的には、いわゆる「箱もの行政」と根をひとつにするものではないか、
ということだ。やはり日本各地にある矛盾の顕著な例として、沖縄があるような気がする。

この本を読んでいれば、「普天間基地は元は田んぼ」みたいな
馬鹿な意見は出ないはずだと思った。
(余談ながら、田んぼでも所有者はいるわけだし、
そもそも、沖縄本島という土地を考えれば、
田んぼだったら、それはそれで、非常に貴重な土地なのだがなあ)

話題の小説「テンペスト」に関しての沖縄の人々の反応にも、
新鮮な驚きがあった。

一方、2世という立場から来る、揺らぎのようなものも、
抱えつつ、作者は、自らのアイデンティティーを求めるかのように、
戦後、戦中、戦前、そして琉球処分まで遡って、
沖縄を俯瞰的に見ようとする。

最終章に出てくる大山朝常さんの話は圧巻だ。
この方は、戦前、戦中、戦後と教師をして、
その後、コザ市の市長を16年勤めた。
有名なコザ騒動のときの市長もこの人で、
沖縄復帰運動の中心になった人物でもある。

その人が教え子を戦場に送ってしまったこととと
同じくらい後悔しているのが、
「祖国復帰運動」の中心的役割を果たしたことなのだ。

「ヤマトは沖縄が帰るべき場所ではなかった。(中略)基地をなくすための運動だったのに、結局、基地を残すための運動を基地の町の市長が熱心にやっていたことになるからね。まったく矛盾したことをやってしまった。」

この言葉の裏には、どれくらいの失意があるのだろう。
どれくらい、「裏切られた」という忸怩たる思いがあるのだろう。

沖縄はヤマトに未だ復帰はしていないのではないか。
というより、ヤマトは、沖縄が復帰するべき場所なのかどうか。
せめて、沖縄がヤマトとひとつの国であることを歓迎してくれる世の中になるよう、
ヤマトは進むべきではないだろうか。

絶版になってるようで、定価より高い中古本しか手に入らないようだが、
大山朝常さんが、亡くなる二年前、九十数歳で書かれた
「沖縄独立宣言 ヤマトは帰るべき『祖国』ではなかった」を
次は読んでみようと思う。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


社会

次の記事

身近な人だとすると。