カニコーセンお風呂付きライブ@千鳥温泉。

先日日曜は昼間から風呂屋へまかり越す。
昼風呂、ではなく、昼カニコーセンライブでございます。

おもむろにおはがきコーナー。加古川市にお住まいの堤さんからのご相談(本人やん!)。
感染対策のため、コール&レスポンスのレスポンスも、あらかじめカラオケに録音済みの周到さ。
カニくん、本人わやくちゃなってても、そのわやくちゃ含めて、自分や状況を客観視する能力、すごいなあ。

お!「麗しの大三郎」に早変わり!
カニコーセンくんが紹介する「麗しの大三郎」さんへのおはがきは、
加古川市の堤さんから(全員、本人やんけ!)
麗しの大三郎さんは、ちょいやさぐれたヤンキーっぽいキャラのよう。
やっぱり元ロックンローラー(の設定)やからなあ(笑)
スピードラーニングの歌は、ちょい昔が蘇るのか、巻き舌っぽい忌野清志郎な歌い方。
カニコーセンくんが麗しの大三郎キャラになり、
その麗しの大三郎が忌野清志郎を意識して歌う、
複雑なことやってるなー。

麗しの大三郎、これで3度目かな?
なんとなく感じるのは、麗しの大三郎は、カニコーセンより、
感情の振幅が大きい気がする。
カニコーセンではやりにくいことを大三郎でやってるんやとしたら、
これもカニくんの客観視能力と自己プロデュース能力の表れなんやろなあ、と思う。

カニコーセンに戻る。
お「あら塩」久しぶりやな。

カニコーセンくんの詞や、音楽を聴いてると根底にあるのは
「恥」の概念やないかと思う。
ものすごくいい歌詞あっても、カニコーセンくんは「どうだ」とは披露しない。
「こんなんもありますよ」と照れながら差し出す。
根っこにはまっすぐな気持ちがあっても「こんな風にも言えるんちゃいます?」と
斜めから掘り投げる。
既成の曲をパスティーシュするのも、笑いで包むのも、
そういう照れの表れちゃうかなあ、と思ったりする。
何か、他のものに仮託することで、ど真ん中を少しぼかす、みたいな。
うまく説明はできないのだが。
そういう「恥」の心性は、ワシも根底に寝そべってるので、
カニくんの気持ちに、知らん間に同調してしまうのだと思う。
てなこと考えてたら、カニくんが
「ステージの向かいに大きな鏡があって、ずっと自分が映ってるんで、ちょい、恥ずかしい」
みたいなことMCで言った。

あー、分かる。そういう心性の人は、
頭の中のどこかに自分を客観視してる自分がいるので、
鏡のように、別の形で自分を客観的に見る機会があまり好きではない気がする。
それこそ恥ずかしくなってしまう。
「もうやってるから!それ!」ってとこだろうか。
まあちゃうかもしれんけど。
人は結局、自分のメジャーで他人を計り、他人を計ってるつもりで、自分の心性に気づくのだろう。
「ワシはそんな風に感じるんやろな」ってことに、
鏡を見るカニくんを鏡にして、気づいたってことやな。

次のおはがきは東京都中野区から。お!今度はちゃう人から?
差出人は20歳の堤さん。若いときの本人やん!(笑)
題名なんだっけ「ロボットみたいな友だちが欲しい」って歌詞の曲、
聴くたびに、その深さが沁みてくる。
これ今の時代の新しい孤独感の在り方示してるすごい曲なんちゃうか、と、思ってしまう。

そんなカニさんの魂の帰るところは昔から歌ってる「酔いがさめたらうちに帰ろう」なんかもなあ、とも思う。
帰りたい気持ち、相反するような覚めたくない気持ち、
弱さ、素直さ、ねじれ、真っ直ぐさ、など、いろんなものがない混ぜになって、
決して覚めない酔いに、自分を閉じ込める。

エンディングはもはやお馴染みか、「どこでもディスコ」で
なにかを振り払うように歌い踊るカニさん。
この状況なんで、観客が踊れないのは、少し残念。

他の人と同じようにできない、同じように考えることすらできない。
それを「それでええやん」と思いつつ、どこかで「恥」と感じてしまう。
それを隠さず、敢えてさらけ出すカニさんは可笑しいけど、哀しく、痛々しくもある。
それは、ワシの姿とも重なるからかもしれん。
そして、そのおかしさと哀しさは、まさに人間が生きてる限り、
付きまとうもんなんかもしれんと思った。

アンコールは、銭湯の営業時間が迫っていたので、短い曲で。
ワシの大好きな「ホットライン」。
最後にこの曲が聴けて、かなりホッとする。

カニさん、ありがとう!
スタッフの皆さんも、ほんまありがとうございます!
また次回も楽しみにしてます!

今回のライブは、入浴券も付いていたのだが、
ワシはライブはしごのため、入浴は諦めて、
同じコースのダブルヘッダーチームで、
会場の「千鳥温泉」を後にしたのであった。

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