ガッツリ春の京都2021(その3:吉田山東麓)。

さて、先ほど、木村伊兵衛の写真集を現金で買ったので、財布が心もとなくなってきた。
ワシのメインバンクのATMを探すと、四条大橋の東側。
引き返すことになるが致し方あるまい。

四条大橋界隈は、名物等間隔カップルが出てきた。
あったかくなってきたからなあ。
京都の啓蟄というべき現象であろう。
あの等間隔、ワシが子どもの頃からあるなあ。
昔は「お兄さんお姉さんのもの」と思ってたのに、
いつの間にか「若いやつらのもの」になってて、
ワシが当事者だった記憶が、まったくないのは、どういうことなのか。

とまあ、どもならんこと考えながら、四条京阪前バス停に行き、
次なる目的地までのバスを調べると、201番が都合いいらしい。
う〜〜んと四条京阪から、201番のバス、、、
なんか既視感がある。
そうか!学生時代、初めの頃、通学に使ってた路線や!
学生の頃、2回生からは下宿したのだが、
1回生の頃は枚方の実家から京阪で通ってた。
当時、京阪は三条までだったのだが、バスの路線的には、
四条京阪の方が便利だったので、それで通ってたのだった。
途中から、バスが面倒になり、三条京阪の前の「だんのう」さんに
チャリを置いて、それで通うようになったので、
実質半年くらいのもんだ思うのだが、
よう覚えてるもんやなあ。
それと、40年前と路線名、変わってないのもビックリやな。

とか考えてるうちに、バスはワシの思い出エリアに。
今日行こうとしてるのは、思い出中の思い出、
学生時代に二年ほど住んでた吉田山だ。

最近、立て続けに吉田山に関する番組見て、
全然ワシの知らん吉田山があることにビックリして、
「これは探索せねば」と思ったのである。

まず、スタートラインは宗忠神社にした。
逆立ちした狛犬がかわいい。

参道の階段は、あと一週間もすれば、桜のトンネルなんやろうな。
写真ではわかりにくいが、この階段の真向かいに真如堂がある。
桜の時期、むちゃくちゃええ感じになるのに、観光客が少ない、
超穴場スポットやと思う。

宗忠神社を抜けて、少し吉田山の西麓に出たところにあるのは、
吉田神社の斎場所大元宮。
こここそが、元々の吉田神社で吉田神道の聖地、ってことを、
ワシは全然知らずに、末社のひとつかな?くらいに思って、
下宿から、この辺を抜けて学校に行ってた。
40年近く前のことやが、そのことを謝りながらお参りする。

東麓に戻ろうと歩いてると、鳥居の並ぶ稲荷さん。
ここもあまり記憶ないなあ。
けど、桜が綺麗だからお参りしておこう。

おっと、ここまで来たら、あれが近いはず。
アレ。
ワシの好きなカフェ・ランキング、全世界ベスト5に確実に食い込むであろう茂庵
建物もええが、眺めも最高なのだ。
吉田山の山頂にあるので、東は、正面に大文字、そして右手に東山連峰、左手には比叡山。
西は、御所を始め、京都市内が一望できる。
ちょっと寄っていきましょう。

ありゃりゃ。。

未練がましく、茂庵の建物を外から観たり、
木立が邪魔するけど、茂庵から見えるであろう京都市内の様子を覗いたりする。

まあ、仕方あるまい。
今日吉田山に来た一番の目的はここではない。
いや、ここも関係するのだが。

その一番の目的目指して、吉田山の東麓を歩く。
ほんま、こんな低い山とは思えない険しさで、
ところどころ、公園のような遺跡のような場所がある。
山桜が美しい。

今回の目的地のことを語るとき、欠かせない人物がいる。
その男の名は、谷川茂次郎。
この男こそ茂庵を開いた人物であり、
茂庵から吉田山の東麓、神楽岡と呼ばれる地域に、
京大の職員向けの住宅地を開いた男でもある。
その住宅地、谷川住宅群こそ、今回の吉田山訪問の最大の目的だったのだ。
けど、検索してもあまり詳しいことが出てこない。
写真で何枚か見たのだけど、当然ワシが学生の頃もあったはずなのに、
全然記憶にない。
これは、尋ねてみなければ、と思っていたのである。

行ってみると、別にプレートとか出てるわけではないが、
すぐ「ここらへんやな」と分かった。
独特の石畳、番組で見たように「大文字を鑑賞するように」東に向いて建てられている配置。
そして、思った以上に広大な区画や。
大学生のワシ、なんで、気づかなかったんやろう。
まあ、大学生って、そんなもんか。

ほんま、一つ一つの道、石畳、石段、石塀、すべてが愛おしく、素晴らしい。
この神楽岡の一画、吉田山から白川通りにかけては、
コンビニも殆ど見当たらなく、ほかの店も少なく、坂が多いので、
住むとけっこう大変だろうと思うけど、
その大変さを楽しめる人が、ここに住んでるんやろうと思う。
その大変さを楽しめるのは、ここに住む資格なんやろうなあ、と思う。
ワシは、この町並み、大好きやけど、資格はなさそうなので、見てるだけにしておこう。

麓に降りて、神楽岡通りに出るとようやく見知った町並み。
桜もきれいなので、一周りしておこう。
この辺りは、いくつか天皇陵があったり、
藤原道長の娘、紫式部が仕え、後に国母と言われる藤原彰子ゆかりの東北院があったり、
名所旧跡には事欠かないのだが、驚くほど、静かな「観光京都」から取り残された一画だ。
京都の市内ど真ん中にあるのに、なぜか奈良との県境のあたりに行ったような
のんびりしたムードがある。
人混み苦手だけど、京都の風情を味わいたいという方には、
激しくオススメしたい場所である。
その中でも真如堂は立派なお堂や、三重塔があって、堂々とした風格のあるお寺だが、
観光寺院ではないので、入場料すらない。
今日は、なぜか門の外は桜満開に近いのに、
中はまだちらほらにも達していないという状態だった。
結界かなにかがあるんだろうか。

さあ、けっこう腹が減ってきたぞ。
では、吉田山荘の真古館に向かうか。
と、その前に、ワシが下宿してたとこを見ておこう。

場所的に言って、ここに間違いない。
けど、建物はぜんぜん違う。
う〜〜んと記憶を辿っていくと、
そうか10年くらい前に来たとき、ここが更地になってて「あらまあ」と思ったのだった。
そのあと、できたのが、この洒落た建物なのだな。
もちろん建物は違うのだが、ワシの部屋は、この手前の二階の角だった。
もう40年前かあ。
改めて、その歳月思うと、変わってない(成長してない)自分に、愕然としてしまった。

さてと、吉田山荘にいって、ちょっと甘いものでも頂くか。
と、吉田山荘の中に進んでいく。
ここからの真如堂の眺めもええ感じ。
けど、、ああ!ここも閉まってる!
石垣果汁屋、茂庵、真古館、今日は、カフェ関係、とことんツイてない。
と思ったら、だんだん腹が減ってくる気がした。
そう言えば、朝から切通し進々堂のたまごトーストしか食べてない。
低血糖にでもなったらどうしよう。
と、やや焦り気味に歩く。
けど、やはりこの界隈には、食べ物屋も少ない。
今出川まで出んとあかんな、とかなり焦りつつ、
眺めがいいので、何度も立ち止まる。

ほんま、ええ町や。
住むのはしんどいかもやけど、
二拠点生活ならええかも、、、
とかノンキに考えてる場合やない!
ちょっと焦り気味に、今出川のゴーリーカフェに駆け込む。
わ!まだランチやってた!
しかも、むっちゃ体に良さそう。
助かる。

ゴーリーで腹を満たし、満足したワシは、
出町柳にバスで向かい、
京阪特急の二階で、ちょっと偉そうな気分になりながら、大阪に戻った。
大阪に付いたとき、大阪はまだ暮れきってなくて、
いわゆるマジックタイム。
京都とは違う良さを味わったのであった。

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