映画「プリズン・サークル」。

観たかったのに観逃してたドキュメンタリー映画の自主上映会があったので、観に行ってきた。
刑務所内のTC(セラピューティック・コミュニティ)(回復共同体)を
丹念に取材した坂上香さん監督の「プリズン・サークル」。
考えたら、先週は旧奈良監獄を見学に行ってたんやった。
ほんで昨日は、家でアマゾンプライムで「それでも僕はやってない」を観たんやった。
今日のこと、全然考えずに。
なんか無意識のうちに、ワシが刑務所方向に引き寄せられてるようで怖い。
身を慎んで生きていこうと思う。

映画は、なんと言うか、凄かった。
「やっぱり観るべき映画やったなあ」、と心底思った。
受刑者は、いろんなプログラムを通して、自分と向き合う。
自分のことを番号ではなく、人間として扱う人に支えられながら。
前に奈良少年刑務所の少年たちの詩集を読んだときにも思ったけど、
受刑者たちの多くは、自分と向き合うすべも持たず、
被害者の感情どころか、加害者である自分の感情にも近寄れないでいる気がした。

プログラムの初めには、敢えて自分と向き合うことを避けようとする人もいた。
だが、その人もプログラムを通じて、
次第に、自分と、自分の犯罪と向き合うようになる。

彼らを見て思ったのは、圧倒的に言葉に欠けている、ということ。
言葉がすべてだとは思わないけど、
言葉が足りないことにより、感情制御不能に陥るってことはあるんちゃうかな、と思った。

しかし、それを越えて、受刑者が自分と向き合ったとき、
そこに加害者と被害者という単純な構図では捉えられない複雑な「人間」
としか言えないものが渦巻いているような気がした。
被害が加害を産み、親の虐待(ネグレクトを含む)が、子の犯罪につながる。
もちろん、だからといって、犯罪を許す、というわけではない。
犯罪は犯罪だ。
だけど、本当に犯罪をなくそうとするなら、
何年か犯罪に応じた期間、収監してるだけで良い訳がないだろう。

このTCのプログラムをやった人の再犯率は、ぐんと下がるらしい。
けど、再犯率がゼロになるわけではない。
それは、やはり一度間違った人間を、なかなか受け入れられない、
今の日本の社会に原因の大きな部分がある気がしてならない。

不思議やったのは、自分と向き合う受刑者たちを観てるうちに、
結局、これはワシらが日々やってる行為と何ら変わらないのではないか、
と思えてきたことだった。
ワシも日々、自分のやってしまった行為を思い出して恥じ入ったり、
傷つけてしまった人のことを思って反省したりしてる。
それが犯罪と言われるものに至らなかっただけで、
彼らが自分と、自分の犯してしまった行為と向き合ってることと、
同じなのではないか。
結局、人間というのは、そうやって、過去を恥じながら、反省しながら、
少しずつ前に進むしかない、生き物なのではないか。
そう思うと、彼らの物語が、自分の物語と重なって見えてきたのだ。

加害者と被害者の線引が曖昧なように、
犯罪者とそうでない人も、きっと危うい線で分かれていて、
受刑者であろうとなかろうと、人間が生きていくために、
自分と向き合わなければいけないことは同じなのだろう。

だから、この物語を、他人事ではなく、
自分たちのこととして観て欲しいと思った。
(別に将来自分が受刑者になるかもしれないから、とかではなく)。

そして、ひとりでも多くの受刑者が、自分と向き合えるために、
このTCの拡大、普及を願ってやまない。

映画上映の後、監督の坂上香さんとリモートトークの会があった。
坂上さんの話は、わかりやすく、今ある問題を、
難しいものは、難しいまま、的確に捉えていて、
ワシ含め、観た人の質問に、きちんと誠意を持って応えてくれた。
いい会に参加できたな、と思った。

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