映画「バケモン」。

笑福亭鶴瓶さんのドキュメンテリー映画「バケモン」を観てきた。

テレビによく出る人気芸人さんのドキュメンタリーではなかった。
鶴瓶さんの本来は、ほんまに板の上の芸人さんなんやなあ、と思った。
どちらかと言えば、昔気質な芸人さんかもしれん。
常に先人たちの成し遂げたことを飲み込んで行く、という意味においても。
その中で、自分にしか創れない世界を切り開く、という意味においても。

ストーリーは17年前に遡り、
「らくだ」という1時間にも及ぶ上方落語の
最高傑作とも言われる演目を軸に展開される。
その演目に対する師匠、笑福亭松鶴さんの思いや姿勢、
兄弟子や弟弟子の思い出も巻き込みつつ、鶴瓶さんが自分の「らくだ」に近づいていく。
完成したか、と思われる自分の「らくだ」を、さらに変化させていく。
こんなにストイックに芸を磨いてはるんやなあ。

それと絡めて、鶴瓶さんの半生が語られる。
その半生が、歩いてきた道が、すべて、
鶴瓶さんの「らくだ」に繋がっている気がした。
だから、この物語は、ここで終わらない。
きっと鶴瓶さんは、これからも、生きていて体験したことを、
すべて、新たな「らくだ」に注ぎ込んでいくのだろう。
その証拠に、そもそも、今回の世界的な騒動がなければ、
この映像は、鶴瓶さんが亡くなるまで、
門外不出の約束だったそうである。

作者の目は、鶴瓶さんだけでなく、「らくだ」そのものにも向けられる。
その歴史をたどるところで、
ワシの一昨年までいた会社の同僚、大阪高低差学会を主催する
新之介くんが出演してたのは、ビックリした。
「らくだ」の舞台になった町を、監督に案内する役割で登場していた。

そこから見えてきた「らくだ」を解説すると、
映画の大事な部分をさらけ出すことになるかもしれないので、割愛するが、
なんとなく感じたのは、
この「らくだ」という演目も、鶴瓶さんも、描こうとしてるのは、
人の苦しみや悲しみと、その中から生まれてくる
人間の可笑しさみたいなものではないかな、と観ながら、ぼんやり思った。
観終わって、数時間たった今は、
その思いが、根拠のないまま、確信に変わろうとしている。
だからこそ、門外不出だったはずのこの映像を、
今まで体験したことのない悲しみに喘ぐ人々のために
公開したのではないか、と思う。

この映画の完成形を観たい、と強く思ったが、
それは鶴瓶師匠が鬼籍に入った後のことだろう。
それを期待するのは、今は悲しくて、できない。
とりあえず、次、鶴瓶さんが「らくだ」をやるときは、
生で観てみたいと思う。

【追記】
映画の中に「鶴瓶噺」のことも出てきた。
映画館で頂いた解説によると、
鶴瓶さんは、鶴瓶噺の本番までに700〜1000ものネタを用意して、
本番直前にきれいに忘れるそうである。
そしてお客さんの反応を見ながら、次のネタを繰り出すのだそうだ。
叩き込まれたネタは、鶴瓶さんの口から淀みなく出てくる。
それを聞いて、ワシは、ナオユキさんのことを思い出してた。
ナオユキさん観て、いつも、
「どうしたら、あんなに次から次へと、
今、このタイミングにピッタリのネタが出てくるんやろう」
と思っていたが、
もしかしたら、ネタの種類やスタイルは違うけど、
二人とも、舞台に向き合う姿勢は、似ているのかもしれない。
そう言えば、ナオユキさんの芸も、
本質を突き詰めれば、人間の悲しいからこそ出てくる可笑しみ、
と言える気もする。
ほんまに板の上の芸人さんというのは、
恐ろしいもんである。
だからこそ、ワシは、本物の芸人さんに、
強烈に惹きつけられるのだろうか。

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