映画「東京クルド」。
まさに八方塞がり。
東京で暮らす二人のクルド人の青年の
ドキュメンタリー映画「東京クルド」。
目をつぶって彼らの喋りを聞けば、
日本人にしか思えない。
なのに。
トルコ政府から迫害されて、幼いときに日本に来た二人は、
いじめを乗り越え、この国で夢を描こうとする。
だけど、在留資格がもらえず、教育の機会も、
働く機会も奪われる。
認められているのは「ただ、いること」だけ。
それは生きていることになるのだろうか。
ワシが「当たり前」に享受してるいろんなことが、
彼らにとっては、手に入らない向こう側のものなのだ。
自分に置き換えてみると、
果てしない絶望の縁に立たされたような気持ちになる。
直接彼らに面し、彼らの言葉を聞く入管の人は、
仕事で、法律で仕方ないとは言え、
ワシより少しくらい彼らのやるせない気持ちに気づくのかと思えば、
彼らに、こう言い放つ。
「帰ればいいんだよ。他の国行ってよ」
立ちくらみがしそうになる。
しかし、決して忘れてはいけないのは、
彼らに、この絶望を味わわせているのは、
他ならぬワシらであるということだ。
こんな理不尽な彼らの扱いの一翼を
ワシらは担ってしまっているのだ。
そのことを、恥ずかしながらワシは、
初めて実感したのだった。
すごいなあ、と思ったのは、この二人が、
そんな状況にありながら、すごく魅力的な青年たちであることだ。
何度も折れそうになりながら、
お互いに支え合い、なんとか生きていく術を探そうとする。
その姿が、ときには、やけにキラキラして見えたりもする。
こんなどうしようもない状況なのに。
きっとこの映画は、日本におけるクルド人のドキュメンタリーであると同時に、
今までなかったくらい理不尽で屈折した青春映画でもあるのだろう。
この先にハッピーエンドが待っているように願わずにはいられない。
そのためにワシが何ができるか、問われているような気持ちになる映画でもあった。
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