五山の送り火の日に。
昨日は「大文字」として有名な、五山の送り火であった。
京都の夏の風物詩、毎年、これがあると、暑さも一段落やなあ、と思う。
去年に続き、今年も感染対策で、かなり縮小規模で開催されたらしい。
その昨日、京都に住む伯父が逝った。
親父の兄貴。本家を継いでいた伯父だった。
ここ数年は、病気などがあって、会えていなかったし、
だいぶ、具合が悪いことは聞いていたが、
いざとなると、やはり、なにかがストンと抜け落ちた。
聞いてしばらくは、呆然としてたが、
こういうときは風呂やな、
と、熱めの風呂に入った。
お湯に浸かってると、次から次から、伯父との思い出が
湯気とともに浮かんできた。
親父は7人兄弟。一番上とその次のお兄さんは早くに亡くなったらしい。
その下に姉が二人。
そして、昨日亡くなった伯父、親父、その下に数年前に亡くなった叔父。
姉二人は、少し年が離れていたのと、
当時のことなので、わりと早く結婚したのとで、
その子どもたちはワシより親父に年が近かった。
なのでワシが親父家系のいとこと言ってすぐに頭に浮かぶのは、
下の息子3人の娘、息子たちだ。
この3人がすごく仲が良くて、
なにかと集まっていたので、余計にその印象が強いのだろう。
ちなみに今回亡くなった伯父は「富夫」、わしの親父は「四郎」、
一番下の叔父は「勇」。
なんとなく、うちの親父だけ、ネーミングに力入ってないなあ、思ってたけど、
聞くと、伯父は跡取りなので考えて名前を付けて、富夫、
親父は亡くなった兄二人含め四男なので四郎、
男二人続いたので祖父、祖母は「そろそろ女の子が欲しいな」と思ったらしいが、
生まれてきたのが男の子だったので「又、男か」と、嘆き、
「又」「男」という漢字を縦に並べて「勇」になったらしい。
四郎以上に力の入ってないネーミングやなあ、と少々、勇叔父が、気の毒になった。
(まあ名前通りの人だった気がするので、正解だったのか)
富夫伯父は、実質長男。それらしく、少しおっとり、
顔も京都っぽい柔らかくて優しい顔をしていた。
親父は頑固だけど回転の速いタイプ(どうやら、その血は受け継いでないな)、
勇叔父は、ちょっとやんちゃな感じだったかな。
下二人は、富夫伯父とは別系統の南方系の濃い顔をしていた(そこは受け継いでしまったようだ)。
その下二人が飲兵衛で、正月など、酔っ払った弟二人を呆れたように、
だけど微笑みながら見る富夫伯父の顔を、なんとなく覚えている。
親父は自分の子どもも、いとこたちも、なんだかんだ、よく、からかった。
富夫伯父は、それを笑いながら見てたけど、
ときどき、ニヤリとしながら、チクリと刺すように鋭いことを言ってからかう。
そんなことで、ああ、やっぱり兄弟なんやなあ、と思ったりもした。
富夫伯父の家は、京都の本家なので、
昔ながらの和風で、伯母がいつも、旅館のようにきれいにしていた。
昔、仕事で夏の風景を撮りたくて、日本家屋を探していたが、
なかなか貸してもらえる場所がなく、
ふと思いついて、親父の実家(富夫伯父の住む家)を提案して、
ロケハンがてらお邪魔したところ、
監督さんが、いたく気に入ってくれて、
撮影をすることになった。
撮影を予定してたのは、玄関においた金魚鉢、夕立に濡れる飛び石、
縁側に置いた煙の登る蚊取り線香などだった。
当日、お伺いすると、いとこの子どもたち含め、富夫伯父一家が勢揃いしていた。
なにごとか!と思うと伯母に「亮ちゃん、今日はどんな役者さんが来るの?」と
耳打ちされた。
それ期待やったのか!
すごく居づらくなって「早く撮影終われ!」としか
考えてなかったことを思い出した。
一度、仕事で行った江坂のビルで「亮ちゃん!」と呼ばれたことがあった。
富夫伯父だった。
当時、会社の都合で大阪で勤務していたらしい。
京都にいるイメージしかなかったので、
すごく驚いた記憶がある。
あのとき、何を話したのだろう。
二人だけで会うことなんて、今までなかったし、
不意だったので、緊張してたのか、なにも思い出せない。
話は前後するが、ワシの親父が逝ったのは、ワシが就職する前の年。
そのとき、自分も弟を亡くして辛いだろうに、
何かと気を使ってくれてた伯父の姿も浮かんできた。
気を使ってるのを感じさせないほど、自然に気遣いのできる人だった。
本当に優しい人だった。
当時、ワシら姉弟は、親父の知らなかった面を知りたくなって、
親父の同僚や幼馴染、親戚などにお願いして、親父の思い出を書いてもらい、
文集を作った。
風呂上がりに、その文集に富夫伯父が書いてくれた文章を久しぶりに読んだ。
ワシらの前では見せないようにしてた弟を想う痛切な気持ちが滲んでて、
また涙が出てきた。
昨晩、寝る前に、勇叔父の息子、つまり従兄弟とメッセージのやり取りをした。
「今頃、弟二人が歓迎会をしてるんやろな。
主役は富夫おじちゃんやのに、弟二人が先に酔っ払って、
また富夫おじちゃんが困った顔してるんやろな」
とか、話ししてると、
ずっと痛いだけだった気持ちが少し、和らいだ。
亡くなった人が、お盆に降りてきて、
天に帰っていくという五山の送り火の日に亡くなった富夫伯父。
ほんまに、ほんまもんの京都人やったんやなあ。
おじいちゃん、おばあちゃんや弟たちも昨日まで、こっちにいたはずやから、
案内されながら、一緒に昇って行かはったんかもしれんなあ。
その優しい言葉と眼差しに何度も助けて頂いた。
あげだしたら、キリないほどお世話になりました。
ありがとうございます。
親父によろしくお伝えください。