映画「ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん」。

先日、戦後の帰国事業で北朝鮮に行った姉と58年ぶりに会った妹の話、
「ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん」を観た。

帰国事業とは、1959年から1984年まで行われた
在日朝鮮人とその家族による北朝鮮への集団的な移住。
映画の中でも語れれてたが、当時の在日の方は、
生活保護受給率も高く、言葉は悪いが、
「厄介払い」的側面もあったらしい。

ワシもその事業自体については、薄い知識あったのだが、
1984年、ワシが大学生の頃まで続いてたとは知らんかった。
渡った方の9割くらいは、朝鮮半島の南部、つまり韓国の出身で、
中には、約1800人の日本人妻も含まれてたらしい。
この映画に出てくる女性たちも、日本人で、配偶者の在日朝鮮人について、
見も知らぬ、しかしマスコミに「地上の楽園」と賞されていた北朝鮮に渡ったそうだ。
しかも「3年経てば、帰国も可能」という口約束を信じて。

韓国は当時、同胞である在日朝鮮人の受け入れを拒否していて、
北朝鮮は「韓国より素晴らしい国である」というアピールをしたがっていたため、
三国の利害が一致して、9万人を超える人が北朝鮮に渡ったらしい。

渡ってからの苦労は、具体的には語られないが、
姉からの手紙の端々に、それが垣間見える。
語れない事情は推して知るべしなんやろな。

関係者の立ち上げたTwitterのアカウントには、
また、あの「自己責任論」をぶちまける人もいるらしい。
確かに、行くときは、自分の意思で行っただろうが、
それが、想像とは全く違ってたとき、
やり直しができる、できないの問題は、
個人では、どうしようもないことやのになあ。
ほんと、あの自己責任論て、どうにかならんやろか。
今のところ、国が、自分のすべきことを回避するためにしか、
使われてない気がする。

姉が妹に出す手紙の最後に「はしたない姉より」と書く気持ちを想像すると、
何か、国に翻弄されて、生きてきた彼女の人生が、辛くなって、
映画館の椅子にじっと座って観てるのが、苦痛に感じるほどだった。

だけど、彼女の子や孫と、妹やその息子との温かい交流を観ていると、
国の思惑より強い、家族の気持ちの繋がりを感じて、
少し、ホッとするのだった。

お互い、58年間、別々に暮らしてきた人生は、もう変えようがない。
それぞれが、それぞれの場所で、幸せを求める以外に道はないと思う。
けど、お互いが会いたい、声を聞きたい、相談したいと思ったとき、
そうできる環境を作ることは、出来ないはずがないと思う。
それを阻害するような外野の声は、ほんまにいらんと思うし、
耳を傾ける必要もまったくないと思う。

関西では、大阪十三の第七藝術劇場と、京都烏丸のアップリンク京都で公開中。
その他、全国で公開されるようです。

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