映画「ミッドナイト・トラベラー」。

今、タリバンが国を掌握して話題となっているアフガニスタン。
この映画は今から6年前、一応アフガニスタン政府があった頃から始まるが、
その頃から、タリバンは、アフガニスタンの一部を実効支配し、
死刑宣告や、執行をしていたんやなあ。

この映画「ミッドナイト・トラベラー」は、タリバンの元指導者の映画を作って、
タリバンから死刑宣告を受けた映画監督ハッサン・ファジリさんが、
避難先のタジキスタンから追い出され、
危険な母国アフガニスタンを抜け、
イラン〜トルコ〜ブルガリア〜セルビア〜ハンガリーと
奥さん、娘二人と、二年にも及んだ逃避行を
スマホで記録したドキュメンタリー映画だ。
(そのタリバンの元指導者はタリバンによって殺されている。)

最近、強制収容所の話や移民の話、
まとめて言うと、戦争や民族紛争によって、
居場所を奪われた人々のことを、
あまりにも知らない自分に愕然として、
この手の映画は、全部観るようにしてるので、
この映画も観に行ってきた。

タリバンのことを国家として認める動きもあるようだが、
タリバンが表現者を、こういう形で追い詰める存在なのだということは、
知っておかなければ、ならないと思う。

しかし、この映画で強く感じるのは、
タリバンの理不尽な行為というより、
途中、通り過ぎる国の冷ややかな対応や、
その国民の移民に対するヘイト感情、
そして、その移民を騙して金を稼ごうとする移民詐欺産業の存在、
だったりした。

このエッセンスを抜き出すと、日本の入管の非人道的な振る舞いや、
在日朝鮮人に対するヘイトクライム、
生活保護者に対する搾取産業の存在などと重なってきたりもした。

こういう映画をいくつか観て思うのは、
国というのは、なんのために存在するのだろう、ということだ。
よそから映ってきた人も含め、
そこに住む人が幸福になるために存在するのならわかる。
だけど、未だに多くの国が、宗教や人種、民族、思想によって、
幸せになっていい人と、なってはいけない人を選別する。
世界を見渡せば、国があることによって、
幸せになってる人より、不幸になったり、命を落としてる人の方が、
多いのではないか、という気すらする。
「そんなもの数値化できるものではない」
ということを分かった上の勝手な印象ではあるが。

ハッサン・ファジリさんは現在、ドイツで暮らすが、
2019年当時のインタビューによると、まだドイツでの定住は認められてなくて、
不安の中で暮らしているようだ。
いや、ドイツでの定住が認められたとしても、
それでめでたし、めでたしではないだろう。
ハッサン・ファジリさんの言葉を借りると
「体はドイツにあるけれど、心はアフガニスタンにある」のだ。

この映画で唯一救いになったのは、子どもたちの笑顔だ。
逃避行の中で、難民収容所の中で、二人の娘が、
ときにハッとするような笑顔を見せる。
家族で、スマホでの撮影だからこそ撮れた笑顔だろう。
ちなみに奥さんも女優であり、映画監督でもある表現者、
だからだろうか、初めて海を見たときや、
新しいものに出会ったときの長女の表現の新鮮さにも驚かされた。
幼い頃、アフガニスタンを出国した彼女たちの帰りたい場所は、
もはやアフガニスタンではないかもしれない。
だけど、そこがどこであれ、
彼女たちが、生きたい場所で、あの笑顔を忘れず生きれることを、
願わずにはいられなかった。

あとひとつ感じたのは、スマホの撮影機器としての凄さだ。
行程の中で、カメラ機材だと諦めざるを得ないような状況がいくつもあった。
スマホだからこそ、撮れた映画だと思う。
スマホは、映画だけでなく、報道の世界も変えたしまったのかもしれない。


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