【ドキュメンタリー映画シリーズⅡ】「おクジラさま ふたつの正義の物語」。

二本目は「THE COVE」でも
「Behind “THE COVE”」でもない、
第三の視点から描かれた、もうひとつの太地町のくじらの物語。
「THE COVE」も「Behind “THE COVE”」も
観ていたし、監督が「Herb & Dorothy」の佐々木芽生さんだということで、
かなり期待して観た。
おクジラさま ふたつの正義の物語

ワシもシー・シェパード側だけから描かれた「THE COVE」には、共感できず、
少々、腹立たしくも思ったが、
かと言って「Behind “THE COVE”」を諸手を振って歓迎したわけでもない。
どちらも、少し扇情的で独善さを感じていたのが、正直なところだ。

この映画は、どちら側にも組みせず、少し引いたところから、
両方の立場を冷静に描いている。
そうすると、これが太地だけの話ではなく、
今、世界中で起きている紛争と同質であることが見えてくる気がした。

現在、太地で捕獲しているクジラ(イルカ)は絶滅危惧種ではない。
シー・シェパードの言う保護の論理は
「あんな賢いお友だちを殺したり奴隷にしたりするのは酷い、かわいそう」
という感情論をスタートにしているように思える。

だからこそ、そこを日本の人(当事者ではなく、ワシのような第三者)に、
「だったら、牛や豚はどうだ。これは日本の伝統だ。よそ者が口を挟むな」と反論される。
しかし、それを声高に叫ぶ人たちが、普段クジラを食べているわけではない。
外国から国内のことに批判されるのを快く思わない、
これもネトウヨに近い、狭量なナショナリズムゆえの感情論での反発、
という意味では、シー・シェパードと変わらないのかもしれない。
感情論対感情論、そこには妥協点はない。

では太地の人はどう考えているのか、
なぜ捕鯨に固執するのか、に疑問を抱き、
第三者として、ジャーナリストとして、それを見つめたいと思った、
元AP通信記者のジェイ・アラバスターは太地に移住して、
この問題を見つめようと思い立つ。

やはり、この問題は住んでみないと分からないことが多かった。
最初は、大挙してやってくるシー・シェパードと同じように見られ、
ジェイの取材にも応えてくれなかった太地の人々が徐々に心を開いて行く。
ジェイは、この町をめぐるいろんな人々に取材を試みる。
相いれない太地の人と、シー・シェパード。
その双方の対話を試みた中、唯一反応したのは、右翼崩れっぽい活動家の人だった。

印象的だったのは、「いくら金を積んだら、捕鯨を止めるのか。
せめて今回の捕鯨を止めるにはいくら必要か」と聞くシー・シェパードに対し、
「ワシらは命かけて生活のためにクジラを獲ってる。
そんな寄付で集めたような金をいくら積まれても、もらう気はない」
という漁師たちの言葉だ。

ジェイは漁師たちの相談にも乗る。
シー・シェパードは、毎日、SNSなどを通じて、意見を発信し続けている。
それに対して太地町は年に一度くらい、ホームページを更新するくらい、
とりあえず、広報をしていかないと同じ土俵には立てない。

この映画に答えはないと思う。
けど、不寛容に満ち溢れ、それゆえに紛争の絶えないこの世界において、
問題を解決する唯一の方法は、相手を理解した上で、
相手の意見を聞く、対話をする方法なんだな、と
あたりまえだけど、ものすごく大事な鍵を見つけたような気がした。
一番過激だったシー・シェパードの父と娘は、
この映画のクランクアップ後、シー・シェパードを止める。
太地は、漁は続けているが、
世界的なクジラ研究の本拠地としての活路を探り始めた。

そして、ジェイは、母国アメリカに帰るのだが、
帰る前の晩、漁師たちから送別会で、
「寂しくなるなあ」という言葉を贈られる。
最後、太地の町を去るジェイに町の子どもたちが声をかける。
ジェイは「けが治ったのか?」と子どもに聞く。

太地では、対話が始まったのだなあ。

すべての世界の紛争地で、同じように対話が始まってほしい。
と思いながら、映画館を出た。

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