果たして、今の共産党は、どんな政党なのか。映画「百年と希望」。
最初にお断りしておくと、ワシは共産党員ではないし、
赤旗を購読しているわけでもない。
選挙のたびに、それぞれの候補者が何を言ってるか聞いて、
「ここがワシの考えに一番近い」と思う党を毎回選んで投票している。
その結果、共産党に入れることもあるし、
違う党に入れることもある。
このドキュメンタリー映画「百年と希望」は、その共産党の、
百年に及ぶ長い歴史を踏まえた上で、
今、この政党に、どんな人がいるのか、どこに向かおうとしてるのか、を
追いかけた映画である、と思う。
ワシが共産党に抱いてる気持ちとしては
「いいこと言ってても、人に届いていない」という印象である。
それは長い歴史の中で差別されて来たことも一因としてあって、
まだ共産党を見る目の中に差別意識があるってこともあるだろうけど、
どうも共産党自体、声を支援者にしか届けてない、
発言自体が、内向きになってるってこともあるような気もしてて、
その辺りがどうなのか、確認したい気持ちもあって、
この映画を観に出かけた。
まあ、そういうところがあるとするなら、
それを少しでも外に向けようとしての映画なんだろうな、とも思いながら。
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観て思ったこと、まとまってないので箇条書きにすると。
一人一人は、とても魅力的で、ほとんどみんな自分の頭で考えて、
「これが正しい」「こうならなきゃいけない」ということを、
自分の言葉で語っている印象を抱いた。
ちょっと面白かったのは、自民党支持から、共産党に変わった青年が、
どうしても、党を優先させようとしてしまい、
なかなか自分の言葉で喋れなくて悩むシーンだった。
彼に限らず、どうしても女性の方が、自分の言葉で語っている感じが強かった。
それは、やはり圧倒的な男性社会の中で、自分の言葉を研ぎ澄まさないと、
人に届かない、という理由もあるのだろう。
比較的、女性に門戸を開いてると思われる、
共産党の中ですら、どこかに男性中心主義は、残っているようだ。
そのことに自覚的である分、共産党は一歩前にいてる気はするが。
結論めいたことは、言えそうにないが、ひとつ思ったことは、
やっぱり「この人になら」という気持ちは、
政党ではなく、個人にしか、ワシは持ち得ないなあ、ということだった。
比例代表制があるので、その党としての方針も目を通すが、
そのときは、ずっと平熱で、チェックシートに印をつけるような気持ちで、
判断している気がする。
自分として体温が上がるのは、やはり「この人に国会に行ってほしい」
「この意見を国会で、この人の言葉でぶつけてほしい」と、
個人的に思うときしかない。
そういう意味では、この政党には、魅力的な人が多い気がした。
もちろん映画なので、そういう特色ある人をピックアップしてる、
という側面はあるにしろ。
つまり、個人が自分の意見を遠慮せずに言える雰囲気がこの政党にはあるのだろう。
どこかの政党のように、トップが右と言えば、全員がうなづきマシーンになったり、
違う意見を言うのは、自分の利権の侵害されるときだけ、ってことではない。
この政党で政治をやろうとしてる人は、みんな
「社会はこうあるべきだ。そのことを実現するために、
この政党で活動する」という目的を明確に持っている気がした。
そして、その目的は、私利私欲のためでなく、
利他的で、その「他」とは、すべての場合、社会的な不利益を被ってる人であることも、
例外はなかった。
「この映画を観たから」と言って、今後ワシが必ず共産党に入れる、
ということには、ならないだろう。
今まで通り、毎回、候補者の意見を聞いて、その内容がワシの気持ちと合致するか、
その人が受け売りではなくて、自分の言葉で言ってるか、
などを見て決めていくだろう。
けど、この映画を観て、共産党に今まで以上に興味を持ったことは間違いないと思う。