ワシはどちら側で怖がっているのか。映画「ブロークンジェネレーション」。
※やや、ネタバレあります。
キラーボーイズ・ネクストドア。
どこにでもいる鬱屈を抱える若者が連続殺人を冒す、
並のホラーよりよっぽど怖い映画「ブロークン・ジェネレーション」を観て来た。
1984年の日本では劇場未公開の映画らしく、
主演は若き日のチャーリー・シーンとマックスウェル・コールフィー。
アメリカの地方都市、高校卒業を迎える悪ガキ二人、
就職は決まってるみたいやけど、地元の工場で、
「死ぬまでここで働くんか」と思うとゲンナリする日々。
最後にちょっとハメ外そうか、くらいのことが発端やったんやと思う。
ゲンナリしてるのは、二人ともなんやけど、
片方の奥底には、自分でも飼い慣らせないような怪物が住んでいたようで、、、。
その怪物を一度解き放つと、
その怪物は、でかくなっていく一方なのか。
連続殺人鬼のことを事件後、周りの人に聞くと
「おとなしい普通の人だった」みたいなことがよくあるのは、
こういうカラクリなのか。
少なくとも、この映画の作者は、その可能性を考えているのだろう。
ヘタレのワシが、殺人シーンの多いこの映画を怖がるのは当たり前ではある。
こんなふうに殺人が起こってしまうなら、
ほんま町中でもオチオチ知らん人と話したりできん。
どこに、こんな奴がおるかわからんし、
すんげえ細かいことが殺人の理由になることだってあるかもしれん。
という一方、ワシの中に、こういう怪物が住んでないとも限らない、
と思ってしまうことが、余計に怖かったりした。
もし、住んでたとしても、どうぞ、ワシが平和に一生を終えるまで、
そいつが、起きて来ませんように!
とか考えると、このポスターのキャッチフレーズには、少し違和感があった。
結末も衝撃的やったけど、
なんとなく、わかる気がした。
あれは、自分でもどうしようもないところへ進んでいく親友への
ギリギリの友情やったんやないか、と思う。