橋本ヒネモスのBBBムービーvol.18「ペーパーシティ 東京大空襲の記憶」「ただいま、つなかん」「二十歳の息子」

今回はドキュメンタリー映画、3本。

「ペーパーシティ 東京大空襲の記憶」。

公式サイト

オープニングから恐ろしくなる映画だった。
「日本軍を倒そう」というアメリカの歌、
戦意高揚のための、いわゆる軍歌だと思うんだが、
それが楽しく愉快な童謡でピクニックでも行くようなメロディだった。
余計に怖くなってしまった。

日本という国は、こんな国だったのか、と改めて思う。
「お国のため」と命まで投げ出させておいて、
民間人には、なんの補償もない。
その補償のために運動する人に向かって、
「アメリカに言え」という右翼さん。
ワシもアメリカにも言うべきやと思うけど、
それは国が言わんとあかんやろ。

オーストラリア人という第三者の撮る映像は、詩的でスタイリッシュで、
そのことがさらに、悲しさ、恐ろしさを感じさせる。
花火を背景に、被害者たちが焼夷弾のことを語るシーンがあった。
本当に美しいシーンなのだが、
それだけに焼夷弾の恐ろしさが沁みた。
日本のような紙と木でできた町を攻撃するのに、
焼夷弾は、うってつけだったのだろう。
恐ろしいけど、よく考えられた戦法ではある。

この映画を観てて思ったのは、
戦前回帰を願う人々は、アメリカに楯突いたこと以外、
戦前の体制に問題なしと思ってるのではないか、と言うことだった。
「敵がアメリカだったこと以外は、戦前の体制は間違いではない」
そう思ってるのではないか、と考えた時、
すべての今まで感じてた疑問点が解決したみたいな気分になって、
寒気が体を包んだ。

多くの民間の被害者のことも含め、
この国は、先の大戦のことを改めて見つめ直さなければ、
また同じ轍を踏むのではないか、
そう思うと、震えが止まらなくなった。

「ただいま、つなかん」。

公式サイト

気仙沼市唐桑町にある民宿「つなかん」の女将、
一代さんのドキュメンタリー映画。
まさに「一代さん」の「一代記」やった。
唐桑全体の復興の物語のつもりが、
一代さんの余りのキャラの強さと
人生の波瀾万丈さに映画全体が引っ張られたんちゃうやろか?
と思ってしまうほど。

スピードあって、むちゃくちゃ元気よくて、ハキハキとしてて、
ワシ個人的には、ちょっと苦手なタイプかもしれんが、
この人柄に吸い寄せられるように、
多くの若いボランティアが、ここに戻って来る。
移住した人たちも、他の地域に住む人たちも、
みんな自分の生き方に、ここで過ごした日々が反映されているのがすごいと思った。
それが、回り回って、一代さんの生きる原動力にもなっている。
まさに「情けは人の為ならず。」やな。

うまそうな牡蠣がたびたび登場するのは、
牡蠣好きやのに、何度かえらい目に遭って、
封印してるワシには目に毒やったが。

糸井重里さんの出てくるシーンは、要らんような気もした。
映画が、全体少し長い気がしたのと、
つなかんは一代さんと、その家族と、学生さんが、
中心になって作り上げたものだと思うのだけど、
それが、有名人のおかげと見えてしまうのは、損やないかな、
とちょっと思ったのだった。

「二十歳の息子」。

公式サイト

家族の形が揺れている、新しい家族のあり方を模索してる時代だと思う。
だから、この映画を観てみようと思った。

そんな気持ちで観に行ったのだが、
なんかずっとモヤモヤしたままの映画やった。
網谷さんの考え方は興味深いし、共感するところもある。
渉くんの考えも「甘っちょろいなあ」と思うところもあるけど、
かわいらしいなあ、とも思ったりもしたが、
なぜ網谷さんが彼を養子にしたのか、
という初めからの疑問が、そのまま残った気がする。

説明されないまま、二人の生活を覗き見して、
そのまま終わった感じ。
創る方は「それでいい」と思ってるんやろうけど、
そこがずっと引っかかってしまったので、
なんでこの映画を作ったのか、
というところに頭が向かないまま終わってしまった。
なんだか消化不良、なんやけど、
もう一度観れば、その辺、スッキリするのかもしれんなあ。

渉くんの人懐っこいのに、最後までは誰にも心を開けない感じ、
それに対して、いろんな気持ちはあるだろうけど、
意見するわけでもなく見守る網谷さんの姿勢は、
すごくよくわかるし、正しいと思った。
きっと、この二人は、まだ家族になる途上なのだろう。
どうぞ、この二人の未来に、家族としての幸せな姿があるますように、
と願う気持ちにはなった。

戸惑いながらも渉くんを受け入れる網谷さんの家族や、
周りの人々は、とても素敵でした。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA