その日の、その後のイスラエルに住む人々。BBBムービー「6月0日 アイヒマンが処刑された日」。
ハンナ・アーレントという人の「悪の凡庸さ」という概念を知ってから、
「アイヒマン」という人物が、気になっていた。
そういう興味で、この映画を観たのだが、
この映画で描かれていたのは、
アイヒマン本人というより、
アイヒマンという完全なる国民の敵に対する、
当時のイスラエルに住むユダヤ人、
イスラエル以外に住むユダヤの人々、
イスラエルに住むユダヤ人以外の人たち、
などの、日常や、心象であった。
![](https://bridgebybridge.net/wp-content/uploads/o0536076915337665311.png.webp)
宗教的なことも絡んで、
「へ〜〜」って思うこともあったりして、
知識としての興味は満たされたのだが、
映画としては、少し散漫な印象も持ってしまった。
自分の印象がまとまらないので、
公式サイトのコメント欄を読んでみたが、
多くの人が、「ほんまに映画観たんやろか」と思うくらい、
アイヒマン個人の話をしてて、
映画の中に入っていってない気がした。
その中でマライ・メントラインさんというドイツ人の
『本作の真の主人公は「イスラエル」自体なのかも』という言葉が、
一番腑に落ちた。
国として、社会として、この裁判にどう決着をつけるか、
国として若い当時のイスラエルが、
悩みながら立ち向かっていた時に、
イスラエルに住む市井の人々は、
どんなふうに暮らして、
この裁判に向かっていたのか、
その群像劇だと思ったら、
取り扱ってる主題は馬鹿でかけど、
けっこうユーモラスな映画だったかもしれない、と思えてきた。
機会があったら、そういう前提で、
もう一度観てみたい映画でかもしれない。