その日の、その後のイスラエルに住む人々。BBBムービー「6月0日 アイヒマンが処刑された日」。

公式サイト

ハンナ・アーレントという人の「悪の凡庸さ」という概念を知ってから、
「アイヒマン」という人物が、気になっていた。

そういう興味で、この映画を観たのだが、
この映画で描かれていたのは、
アイヒマン本人というより、
アイヒマンという完全なる国民の敵に対する、
当時のイスラエルに住むユダヤ人、
イスラエル以外に住むユダヤの人々、
イスラエルに住むユダヤ人以外の人たち、
などの、日常や、心象であった。

宗教的なことも絡んで、
「へ〜〜」って思うこともあったりして、
知識としての興味は満たされたのだが、
映画としては、少し散漫な印象も持ってしまった。

自分の印象がまとまらないので、
公式サイトのコメント欄を読んでみたが、
多くの人が、「ほんまに映画観たんやろか」と思うくらい、
アイヒマン個人の話をしてて、
映画の中に入っていってない気がした。
その中でマライ・メントラインさんというドイツ人の
『本作の真の主人公は「イスラエル」自体なのかも』という言葉が、
一番腑に落ちた。

国として、社会として、この裁判にどう決着をつけるか、
国として若い当時のイスラエルが、
悩みながら立ち向かっていた時に、
イスラエルに住む市井の人々は、
どんなふうに暮らして、
この裁判に向かっていたのか、
その群像劇だと思ったら、
取り扱ってる主題は馬鹿でかけど、
けっこうユーモラスな映画だったかもしれない、と思えてきた。
機会があったら、そういう前提で、
もう一度観てみたい映画でかもしれない。

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