「悪の凡庸さ」について。

なんか、いろいろ当てはまる気がする。
映画「ハンナ・アーレント」を観て、中村敦夫さんが考えたこと。

楽になるのかもしれんが、思考を停止するということは、
つまり、そういうことなのだと思う。

ひとりずつ、少しずつでも、考えて行こう。
自分で考えたことで、人の意見と戦って行こう。
日本という国を愛する、というのは、そういうことだと思う。

「愛国心」という言葉を、右翼の人から、取り戻したい。
「日本が好き」と言うと、右翼と思われる現状を変えたい。

ワシは誰より、日本が好きやと思うし、
桜も富士山も大好きだけど、全然右翼ではない。

かと言って左翼でもない。
ただ、日本が好きで、この国に生まれたことを誇りに思って、
この国で、死にたい、と思ってるだけの男だ。
(20180219記)

9年前、大きくうなづいた記事。
凡庸な悪には、一粒の悪意を、
その数万倍に拡大する力があってしまう。

自分の頭で考えることの大切さを、
改めて、刻んでおこうと思う。
(20230219記)

11年前、うなずいた中村敦夫さんのコラム。

今、SNSの普及で、この「悪の凡庸さ」の拡大が、
とんでもなくなってる気がする。
一粒の悪意が、とんでもない速さで、とんでもなく大きく拡大する。

正しいかどうかを自分で見極めるのではなく、
派手で、面白そうな人物の意見、いや意見だけでなく、
その人物自体を全肯定して、拡散する。
そこには、宗教的な従属感があるような気すらする。

本当に怖い。
できるだけ、客観的に、自分の意見を自分で構築していきたいと思う。
(20250219記)

もう何度かピックアップした12年前の投稿だけど、
本当に今こそ、読むべきだと思うので、
再度、ピックアップ。

「愛国心」という言葉を
「政府の言うことを何でも肯定する気持ち」という意味から、
解放したいと、心から思う。

人の意見を鵜呑みにして、考えないことは「楽」かもしれないけど、「楽しく」は、ないと思う。
考えることで、自分の中にある、知らなかった自分に気づいて、
パッと世界が広がったりすることもある。
ほんと、その楽しさを、選んで欲しいと思う。

「楽」より「楽しさ」を。
それが「凡庸な悪」から、
人間を解き放つ鍵なのかもしれないと思います。

(20260219記)

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA