追悼、糸川燿史さん。
写真家の糸川燿史さんが亡くなられたそうだ。
プガジャ時代から、大阪の文化関係で写真と言えば糸川さんので、
ずっと気になる写真家だった。
春一や、大阪のイベントでお見かけすることも多く、
「いくつになっても、前線でご活躍やなあ」と感心していた。
糸川さんは基本的にイベントを記録する立場だけど、
たまには、糸川さんご自身が主役としてご出演されるイベントもあって、
そんなイベントにも何度かお邪魔させて頂いた。
10数年前かな、直接ご挨拶させていただく機会があって、
「君を被写体にしたいなあ。
今度、映画撮る時、連絡するから出演してよ」と言われて、
舞い上がったもんだった。
最後にお会いしたのは、一昨年の大阪城野外音楽堂のToMoNiというイベント。
ワシは縁あって受付をさせて頂いてたのだが、
その会場に、カメラをぶら下げていらっしゃった。
糸川さんは、数年前に奥様を亡くされて、
ずいぶん意気消沈されている様子がSNSから感じられたし、
この時も病気療養中で、少ししんどそうだったけど、
「ちゃんとこういうイベントには顔出されるのだなあ」と感心した。
その頃、ワシは真っ赤な頭をしてたのだが、
覚えててくださって、
「その頭で撮りたいね。連絡するから名刺くれないか」と言われた。
その後、何度かメッセンジャーでやりとりさせて頂いたのだが、
糸川燿史さんの回復待ち、ということで、
「また連絡するから」というまま、
遂には、実現することなく逝かれてしまった。
今年は、なぜかワシの記憶では初めて卓上カレンダーを作られたので、
通販で買わせて頂いた。
ご本人のメッセージ入りで送られてきたので、
「まだまだお元気なのだな。
今年こそ、撮ってもらえるかな?」
と期待してた矢先の訃報。
「大阪のカメラマン」と言って、まず第一に思い浮かぶ人だった。
音楽、演劇、お笑い、、、
大阪、いや関西の文化が、
「ワシらは、これでええんや。関西らしさって、これなんや」という
アイデンティティを持つのに、
多大な影響を与えたカメラマンだったと思う。
関西の文化をとり続けた不世出のカメラマン、
糸川燿史さんのご冥福を心からお祈りします。
きっともう、奥さんや、先にあちらに行った人たちと、
飲み始めてるんやろうな。
「えらい長い間、がんばっとったんやなあ、ようお越し、まあ飲みや」
とか言われながら。
糸川さん、関西の文化にとっての功労者としても、
ワシ個人の嬉しい思い出としても、
お礼を申し上げます。
ありがとうございました。