坂本龍一さんの音への純粋な興味と向き合い方。BBBムービー「Ryuichi Sakamoto: CODA」。
癌と戦いながら音楽を作り続ける坂本龍一さんの2017年のドキュメンタリー映画。
この人は、ほんまに、最期まで、子どものような純粋さを持って、
音楽と向き合い続けたんやなあ、と思った。
「音楽にすべてを捧げた」というより、
「生活、社会、政治、、、すべてを音楽にした。」という感じがした。
だから「音楽」という自分の持ってる最大の武器で、
災害や政治運動にも臨んだのだなあ。
そもそも、自然界には分かりやすい一定のリズムはないのかもしれない。
人間には鼓動があるから、リズムが生まれるのかもしれん。
坂本さんは、そういうリズムに支配された音楽を、
自然に戻そうとしてるのかもしれんと思った。
同じように、自然界には音程を区切る音階もなくて、
すべての音程は繋がってるから、音程も自然に返そうとしてるのか。
と言いつつ、むちゃくちゃ大きなことで言うと、
地球の自転や公転もある意味、リズムかもしれなくて、
坂本さんは、リズムを人間発のものから、
そういう大きいものに委ねようとしてるのかもしれないとも思った。
きっと、坂本さんの中にも、正解はないのだろう。
興味の赴くまま、すべての枠組みを取り払って、
音楽と音と、真っ直ぐ向き合おうとしている、
というのが、一番近い気がする。
何かを叩いて、思った通りの音が出たり、
思ってもいない音が出た時の、
子どものような嬉しそうな顔、
カメラマンか監督さんか分からないけど、
そこにいるスタッフに向ける、
心から嬉しそうな笑顔を観てて、そう思った。
ほんまに、音が好きなんやろうなあ。
タルコフスキーを、そんなに意識してたというのは、
初めて知ったことだけど、
映像におけるタルコフスキーの立ち位置を考えると、
同じような立ち位置を、音の世界で求めたのかもしれない、と思った。
エンドロール途中で出ていくカップルがおって、
「あれ?坂本さんの音楽に興味あって観に来たんちゃうの?
まだ坂本さんの音楽、かかってるのに!」と思ったんだが、
こういうときは、ワシ、自分にも覚えがあるので
「トイレ、めっさ我慢してたんやろうな、よう頑張った」
と思うことにしてるんだった。
その方が、イラッとしないで済むんでね。
最後まで聴きたかったやろうに、お気の毒です。