ナカヒラミキヒト&デグルチーニ@ムジカジャポニカ。

しまった。遅れそうだったので、チャリを諦め、
バスで来たのが裏目に出た。
今日は実質、仕事納めみたいな金曜で、道は大渋滞。
結局、一曲目の終わりかけで到着。

店の外からナカヒラミキヒトさんの、
ガラガラ声とリゾネーターギターの硬質な音が聴こえて来た。
ムジカは、今ドア開け営業中。感染対策行き届いてます。
二曲目はやった!浅川マキさんの「かもめ」。
これ聴きたいと思ってたんで、間に合って良かったー。
端正な顔立ちを裏切るような悪魔的な声、ああ、ナカヒラさんや。久しぶりやなあ。

三曲目「クラゲの唄」は新曲らしいが、なんか切のうて、ええ感じやな。
これは今までのナカヒラさんとは少し違う、と言うか進化したような気がした。
なんか船底の倉庫かなんかで、一人でクダを巻いてるような、
ガランとした空間と、寂しい男の姿が浮かんだ。

「グッナイアイリーン」は、「ワシの知ってるのと同じ曲?」と疑うほど、
ナカヒラ節に染められていた。
あの優しいメロディが、やさぐれた男の昔を懐かしむ嘆き節になってた。
間奏から後半にかけてのギターがカッコええ。
乱暴そうに見えるけど、けっこう丁寧で、スパッと空気を切り刻んでいく。
ギターの音が湿気まで取り去って、砂埃の舞うアメリカ南部にいてるような気分。

「ぼろぼろ」って曲聴いてて、ナカヒラさん、やっぱり進化してる、と思った。
こんな優しい歌を歌う人だったっけ?
なんで、こんなガラガラ声に優しさを感じるのだろう。

きっと「哀しみ」と「優しさ」って実は近いところにあるのだろう。
自分の哀しみをじっくり見つめた人間は、
自ずと、優しさが染み出してくるのだろう。
ナカヒラさん聴いてると、そんな気がしてきた。

最後の曲はピアノで。
決して饒舌ではない、どちらかと言うと朴訥としたピアノだけど、
かえって、その朴訥さが説得力になってるなあ。
片田舎の潰れたバーの片隅にあるピアノを忍び込んだ誰かが弾いてる、
そんな光景を思い浮かべる。
久しぶりに聴いナカヒラさんは、歌に人間の奥行きが染み出して、
ワシの好きな方向に進化していた。

続いてはデグルチーニさん。めっちゃ久しぶりやなあ。
相変わらず、黒くて、赤くて、悪くて、かっこいい。
自前のレッドライト一本、闇夜に蠢めく、
見たことのない生物のように、ゾワゾワと始まる。
世の中の闇を全部集めたら、赤い灯になったんではないか、
と思わせる闇を感じさせる光。真っ暗闇よりも暗い気がする。

そこに漂う美しく妖しいギター。沈殿していくかのようなしゃがれ声。
何もかもが悪く、美しい。
だけど悪の華って、惹かれるんよな。
ベースラインも弾きながら、ギターをかっこよく鳴らせてる。
何気にすごいんちゃうやろか。

デグルチーニさんは、どう撮っても絵になるなあ。
どちらかと言えば、華奢でスリムな体型、
長い手は、蔦のように前後からギターに絡みつく。
ビジュアルから、声や音楽が聴こえて来そうや。
迷いのない音楽とは対照的にMCは相変わらず迷走しまくって、
どこいくかわからんけど、おもろくて、ついつい耳をそば立ててしまう。

繰り返す、ある意味、軽快なリフ、それと絡むのは、やっぱり粘り気のあるボーカル。
描く世界に揺らぎはない。
繰り返すリフが眠気を誘うけど、寝ると悪夢を見そうなので、起きて堪える。

ピアノ弾いてても、やっぱり絵的にサマになる。
「コウモリワルツ」の果てしないリフ、地獄の眠りに引き込まれそうになる。
地獄とわかってるのに、引き込まれたくなる。
ほんまに悪魔的な快楽をデグルチーニさんの音楽は持ってるなあ。

そのまま「青い猫のワルツ」。この曲好きやわあ。
なんやろ、昔への後悔みたいなんが滲み出してて、
懐かしくて、切ない。
ああ、結局気持ちええ。

ラストの曲はトム・ウエイツが、さらにヨレヨレになったみたいな感じで、
めちゃくちゃカッコよかった。
久しぶりのデグルチーニさんに、大満足。
来年はもっと聴けますように!

ナカヒラさんとは、お会いするの自体、かなり久しぶりなので、
少しお話できたのが嬉しかった。
デグルチーニさんとも、休憩のときとか、
なんやアホな話、できて良かった。
お二人とも、今年最初で最後のライブやったなあ。

この二人、ナカヒラさんはなんとなくアメリカっぽくて、
デグルチーニさんヨーロッパっぽいんやけど、
音楽の持ってる雰囲気自体は、なんとなく似てるんよなあ。
また対バンでやってほしいですわ〜。

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