映画「8時15分 ヒロシマ 父から娘へ」。許すということ。

昨日、また十三にドキュメンタリー映画二本観に出かける。
最近は三日と空けずに十三へ。
なんかもう出勤みたいになってるなあ。
今年はドキュメンタリー映画豊作の年らしく、
まだ観たい映画がいくつかある。
まだまだ十三通いは続きそうだ。

まずは、「8時15分 ヒロシマ 父から娘へ」。
これをドキュメンタリー映画と言ってええのか疑問はあるが、
再現ドラマや、本人のインタビューが織り混ざっているので、
少なくとも、ストーリー映画ではない。

広島原爆投下からの数日間の再現ドラマの描写が、恐ろしいほど悲惨なので、
「この映画がなければ一生知ることはなかった大切な史実を教えてくれて有難う」という
(たぶん)アメリカの審査員の言葉が出てきたのだと思う。

だが、ワシは(ワシらは)ある程度、原爆の恐ろしさ、悲惨さを知ってる。
(ここまで、形として目にしたことはないにしろ)
この映画の大事なところは、そこだけではないと思う。

こういう凄い体験をされて、何もかもを失い、
最後には、国連に寄付した、生き延びた支えともいうべき思い出の品まで
失ってしまう美甘進示さんが、
何をも恨まず「許す」という観念にたどり着いたことこそ、
この映画の本質だと思う。

その観念は、進示さんが生き延びるために、支えにした父、
その父が進示さんに託した思いから生まれたのだと思う。
そして、その観念は、進示さんから娘の章子さんに引き継がれる。
さらに、章子さんが、この話を本にされたことで、いろんな人に引き継がれ、
映画化されることで、より多くの人に引き継がれて行く。
原爆の悲惨さとともに、この「許す」という観念が、
様々な国の様々な人々に引き継がれることを心から願う。

余談ながら、そういう意味ではタイトルに、
「8時15分」はない方が良かったかも、と少し思った。
この時刻も映画の重要な要素なのだが、
これをタイトルにすることで、どうしても印象が、原爆投下のその瞬間に固定されてしまう。
それより、それからの時間に注目してもらうために、
「ヒロシマ 父から娘へ」だけで良かったんじゃないかな、と少し思った。

進示さんの言葉が、突き刺さる。
「恨みつらみで過去にしがみつくな。
狭い視野こそが世界を戦争に巻き込んだ。
悪いのは米国人ではなく、戦争だ」

ギュッと濃縮した1時間足らずの映画だが、
足りないものは、なにもない、という気がした。
再現ドラマは確かに悲惨で目を背けたくなるのだが、
映画的と言うよりは、舞台的な切り取り方の演出が秀逸で、
「詩的」と言っていいほどの情感も湛えている。

史実として、作品として、これからの世界を平和にする考え方として、
多くの人に観て欲しい作品だと思った。



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