冨恵洋次郎「カウンターの向こうの8月6日」。

カウンターの向こうの8月6日」を読んだ。
作者の冨恵洋次郎さんは、自身も被爆3世。
広島育ちで、名門広商の野球部で4番を打っていた方らしい。
広島生まれ、広島育ちなので、他の地方の人よりは、
原爆の平和教育を受けて来てるが、
平和教育の弊害というか、気分的にお腹いっぱいになってしまい、
「もうええわ」みたいな気分もあったという。

成人して、バーを始めてから、お客さんと話すうち、
県外の方から質問を受けるうち、
「もっと知りたい」と思ったそうだ。
たぶん、それは教科書的な意味ではなく、
生きた言葉、実際の体験としてのことなのだろう。
毎月、6日に、経営するバーで、原爆体験者の話を聞く会を開くようになる。
しかし、それは初めから順調だったわけではなく、
同業者から「原爆を売り物にするな」と言われたり、
体験者からも「思い出したくない」と言われたりしたそうだ。
だけど、彼は欠かすことなく毎月、会を開き続けた。

原爆体験者で、経験を語る人のことを今は「証言者」と言うらしい。
70数年がたった今、証言者の高齢化は推して知るべしで、
証言者が亡くなっても、その体験を引き継ぐよう、
話を聞いて伝える人を伝承者というらしい。
だから、その会を「証言者の会」という。

それを通じて、彼が感じたことは、決してステレオタイプの反戦、反核などではなく、
「生きていく」ということ自体に、幸せを感じるという
ごく当たり前の普遍的なことなのかもしれないなあ、と思う。
その普遍的な幸せから、原爆のこと、戦争のことを見るから、
リアルな気持が伝わってくるのではないか、
押しつけられるのではなく、
心から戦争に対する気持が湧いてくるのではないか、と思う。

そして、10数年も続け、出てくださった証言者が亡くなったりすることも出て来るうちに、
彼は、その証言を記録に残し、自分の感じたことをまとめておきたいと思うようになった。
それが、この本「カウンターの向こうの8月6日」である。

しかし、この本を書き上げるのにも、
思いもよらぬ困難が襲いかかる。
彼自身が、ステージ4の肺がんにかかってしまったのだ。
しかし、だからこそか、この本には最後の力を振り絞って書いた、力強い説得力がある。
原爆証言の記録、であるだけではなく、
一人の男の人生を綴った自伝にもなっている。

彼自身の言葉で綴った「おわりに」の最後に日付がある。
「2017年7月」
彼は、7月3日に37歳で旅立ったそうだ。
本当に旅立つ直前まで、この本にかけてたんだなあ。
この本の完成を見ることはなかった。
だけど、彼は活動を通じて、この本を通じて、たくさんの人に原爆の体験を伝えた。
彼自身が、素晴らしい伝承者になったのだと思う。

彼の意思を継ぎ、友人たちが「証言者の会」は続けているそうだ。
彼がやっていたバー「スワロウテイル」はどうなったのだろう。
ググっても、もひとつよくわからない。
今度時間のある6日に、「証言者の会」を聴きに行きたいと思う。
できれば、そのスワロウテイルで聴ければいいのだが。

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