京都小旅行④映画「カウラは忘れない」。
翌朝、朝食を済ませて、再び京都みなみ会館へ。
映画「カウラは忘れない」を観に行った。
最近、戦争難民や収容所の話は、たいてい観てるので、
第2次世界大戦中、オーストラリアにあった日本人捕虜収容所を舞台にした
このドキュメンタリー映画を観逃すわけには行かないと思ったのだ。
果たして、この映画は、他の収容所とは大きく違っていた。
ジュネーブ条約を批准していたオーストラリアは、
捕虜にも十分な食事や医療があてがわれていた。
自治も認められ「肉より魚が欲しい」という要望にもある程度応えてくれた。
なのに、捕虜は、命を賭けて、脱走を試みた。
実際、捕虜234人、監視兵4人が死亡した。
彼らを死へと走らせたのは、敵ではなく、味方。
「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」という言葉。
帰ってから、「捕虜になってた」と知られると、
家族までもが地域で生きにくくなる、という恐れ。
死に場所を探して、成功したとしても行く宛のない脱走を試みたのだ。
オーストラリアが戦場だったことも知識としては知ってたが、
これほど、いろいろあったとは実感してなかった。
そして、その場に自分がいたら、どうするだろう、と考えずにはいられなかった。
捕虜になることは死ぬよりも恥ずかしいこと、
家族にも迷惑がかかる。と考えると、
もしかしたら、、という思いが頭をよぎる。
実際、生き残った人も、捕虜になったことについて、
長い間口を閉ざしていたらしい。
何人かは、家族に戦死の知らせが届いていた。
いとも簡単に人を生死の戦いに巻き込み、
その生死をきちんと確認せず、死んだことにしてしまう。
ほんまに国というのは、なんて理不尽な装置なんだろう、と思わずにはいられなかった。
捕虜の中で、ただ一人、この企てを知らなかった人がいる。
ハンセン病で隔離されていた方だ。
その方の亡くなった仲間への思いと、その後の人生がこの事件を際立たせる。
この方も含め、生き残った人は、一様に罪悪感をどこかに背負っている。
戦争のもたらす心の傷は、その人の一生を縛り付けるものなのだな。