国境の島に生きる。映画「ばちらぬん」「ヨナグニ〜旅立ちの島」。

与那国島に関する映画を二本、続けて観てきた。
その二本は「国境の島に生きる」として、
同じ公式ホームページで紹介されている。

一本目は京都の学生さんが、卒業制作で制作した、「ばちらぬん」。
監督主演の方が与那国出身で、
離れたからこそ観える、与那国の今を、真空パックしたような、
詩情溢れる、映画だった。
与那国の自然、風土、伝統、生活、歴史、風習、祭り、など、
現時点の与那国を親愛を込めて、
真空パックしたかのような映画だった。
与那国にもハジチ(女性が指に施す独特の入れ墨)の風習があるのは知ってたが、
観たことはなかったので、それが観られたのは、嬉しかった。

純粋なドキュメンタリーではなく、
たぶん監督を含めた学生さんたちの演技の、
暗喩のようなフィクションが織り込まれる。
「学生さんの卒業制作」ということや、
「監督・主演が与那国出身」ということは、ワシは後から知った。
その分、観てるときは、フィクション部分が、わかりづらく、
少し咀嚼が足りない気がしたが、
与那国に対する痛切な思いは、十分伝わってきた。

そして、このさらに詩的なフィクション部分がなかったら、
その与那国に対する思いは伝わったか、、、。
いや、たぶん伝わりはするんだろうけど、
ここまで深くは伝わらなかったかもしれない。
映像に対して「誰が、どんな思いで、この映像を形にしてるのか」
ということは大切なことなんやな、と改めて思った。

10年以上前になるが、ワシは与那国に行ったことがある。
地元のおじいと酒盛りしたり、そのおじいのうちの一人に、
次の日、車で与那国案内に連れてってもらったり、
一人で民謡スナックに行くと、
そのおじいたちが大盛り上がりしてたりと、
ほんま楽しい時間を過ごした。

その楽しい日々の中、与那国の伝統工芸館を訪問した。
工芸品や歴史が好きなので、旅先でこういう場所は、
大抵訪問する。
そのとき、管理しているおばあさんとゆっくり話す機会に恵まれた。
標準語を話す、上品なおばあさんだった。
台湾との貿易で栄えた島だったこと、
民謡の話、いろいろお聞かせ頂いた。
その中で一番印象的だったのが、
「なぜ、与那国に高校を作らなかったのか、今でも惜しいと思う」
という言葉だった。
今も、与那国には高校はない。

もちろん通える範囲の島にもない。
与那国に行って、沖縄のどことも違う風景だなあ、と思ったのは、
どこに行っても隣の島の見えないところだった。
絶海の孤島、大東島ですら、南大東島、北大東島が
寄り添うようにあって、ほぼ毎日、互いに見えるのに、
与那国は、年に2〜3日台湾が見えるくらいだと言う。
おじいたちと楽しい時間を過ごしたのに、
与那国で、他の島では感じない圧倒的な孤独を感じたのは、
このことが原因ではないか、と思った。

話がそれた。
おばあさんが言うように、与那国には高校がないため、
中学を卒業した子供たちは、石垣島、沖縄本島、内地、
それぞれの高校に進学する。

この作品を作った監督さんも、そうやって与那国を離れてきたのだろうな。
だからこそ、与那国への愛が、ただの地元愛ってだけではなく、
体のどこかを切り刻んでいるような痛みのある愛なんだろうな、と思う。
フィクション部分を入れ込んだのも、その痛切な愛を、
形にしたい、という衝動なんだろうな、と感じた。

「ばちらぬん」は、与那国の言葉で「忘れない」という意味らしい。

そして、もう一本は、その、高校進学で、
与那国を離れる子供たちを中心に、
イタリア人の映像監督と写真家が、
与那国を描いた「ヨナグニ」。

こっちは、子どもたちへのインタビューが中心になっているが、
地元の人たちの会話、子どもたちだけでなく、
ご年配の人たちの会話も、観ることができる。
驚いたのは、子どもたちだけでなく、ご老人たちの会話も、
字幕なしで理解できてしまうのだ。

那覇ですら、おばあたちのユンタクに混じっても、
何言ってるか、わからないのに。
この映画のテーマは失われゆく「どぅなんむぬい(与那国語)」。
那覇のように一生を、その場所で生きていけるところと違い、
一度は島を離れた生活をするからだろうか。
そういえば、ワシが訪問した時も、
言葉がわからずに困ったという記憶はなかった。
伝統工芸館のおばあさんは、きれいな標準語を話しておられた。

ちなみに「どぅなんむぬい」の「どぅなん」は与那国の古称。
渡るのが難しい島という意味の「渡難」から来てると聞いた。
その名も「どなん」という泡盛も有名だ。
「むぬい」は、「もの言い」の沖縄音便なのだろうか。

島を離れる子どもたちの顔には、どの顔にも、
一抹の不安がありつつ、それを押し退けるくらい、
外の世界を知る好奇心の微笑みが宿っていた。
あの子どもたちも、数年後には、「ばちらぬん」の監督のように、
切ない気持ちを故郷の島に対して持つのだろうか。

ふと、隠岐島の海士町のことを思い出した。
あの島には高校があった。
その高校を中心に島が、活気に溢れていた。

与那国には、隠岐島にも負けない、独特の文化がある。
「高校さえあれば、」という気もしてしまうが、
今あるもので、伝統を守り、新たな伝統を育てて欲しい、
と、痛烈に感じた。

どうでもええけど、ふと思ったこと、メモ書き程度に書いておく。
この映画のワンシーンに、町中を与那国馬が走るシーンがあったけど、
馬や牛が超えられないというテキサスゲートは機能しなかったのだろうか。

二つの映画を観て、失われゆく与那国に郷愁以上の、
「なんとかならないのだろうか」という思いを抱いてしまった。
与那国は国境の島ということで、国防のために、今は人口が増えつつあるそうだが、
ただの人口の問題だけではない。
与那国の文化を守って、育てていく形で、発展していく手立てがないものか、と思う。

ふたつの映画に共通して使われてる歌があった。
「どぅなんスンカニ(しょんかね)」。
詩もメロディもこの上なく美しい歌である。

与那国の情け 云う言葉が情け
命のある間は お付き合いしましょう
与那国の渡海は池の水心
心安々と 渡っていらっしゃい
波多浜下りて持った盃は
涙泡盛らし呑むことができない
波多浜までは妻に送られて
屋手久(地名)東崎は彼女の持ち分だ
片帆持たせば つくづく想われる
諸帆持たせば 諸目の涙が出る
暇乞いをするならば 予てからいとま
明日の出船には一口もものが云えない
風がもしか北風になることがあったら
ウブハイムトゥ(地名)サンニヌダイ(地名)に
女童と二人
中迎えと三人で




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